文舵本編の解説に基づくと(※)、「遠隔型の作者」や「壁にとまったハエ」にも「類推」「判断」「価値判断」などは間接的・控えめにではあっても許されていて、ハエがあえて「壁にとまった“知性ある”ハエ」と呼ばれているのもそのためだと思うんですが、それらさえ徹底して排除した場合には「カメラアイ」になるのかなと思っています。このカメラアイにはおそらく「類推能力」や一般的な意味での「判断能力」、つまり知性は想定されていないので、比喩表現も使わない。とはいえ、あらゆるカメラにもその向こう側にはカメラを動かす/設置した誰かが想定でき、結果として何を/どのように/どれだけetc. 撮るのかという視点の「意図」は反映されるので、究極的な客観視点というのは理想の中にしかない、という今のところの理解です。
※
・p.127「登場人物について振るまいや発言から推測できることのみを話す」
・同「価値や判断は間接的にほのめかすことしかできない。」
ただ、ル=グウィン先生自身は例文の「セフリード姫」でここでいうところの「カメラアイ」をやっているとは思います。
作家(阿部登龍)。第14回創元SF短編賞受賞作「竜と沈黙する銀河」(紙魚の手帖vol.12)、「狼を装う」(同vol.18)。SFとファンタジーと百合とドラゴンとメギド72が好き。
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