@YuriShitoh
私は「芸術によりその時影響を受けるのは、変化の準備が整っている箇所」と捉えている。何らかの共鳴素材がないと“揺さぶられる”事は無い。なので、安心して自身を開いて臨んでいる。
これも、自身を信じ、(芸術との)出逢いを信じているからこそだと思う。
芸術の真のチカラを最大化させるには、感じ切ることを恐れず、その場に身を委ねることだと思う。
日曜日の公演の影響が大きくて、月曜日はあまりのエネルギーの豪風に落ち着かず、火曜日は盛大な気付きがあって過去を手放し脱力そしてデトックス、今日は呆けてるw
本物の芸術は(こちらが開きさえすれば)深層心理に多大な影響を及ぼす。
それは人間の霊性進化に繋がると感じている。
内的な変化が容赦なく起こるので慣れないうちはしんどいかもしれないけれど、何より自分を深く知ることは楽しいし、どんどん手放して自らを自由にする術を持つことは生きる力になる。自信を信じることにも繋がる。
ただ深いものであればあるほど抽象的で理解されにくく、何より最大公約数へのアプローチとは縁がない(大きなお金にならない)から評価が見えにくい。
能楽と似ているかもしれぬ。
私はそういう芸術を愛するし、守らねばと思う。
おんもすれぇー
オオカミを群れのリーダーにさせる寄生虫、研究で明らかに | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/120200558/
@YuriShitoh
会社でインクルージョン&ダイバーシティの話をしていた時「しとーさん、人権意識めっちゃ高いですよね。今まで沢山考えてきてる感じがします。」と言われて、ほんとにそうなのかは分からないけど、もし高いなら何故なんだろうと考えて「そういえば子供の頃から今で言うマイノリティと言われる人達にばかり目がいってた気がする」と思い付いたのであった。
そして、確かにLGBTQの友人知人も両手で数える以上にいて、普通に何でも相談出来る友人関係であったりもする。でも彼らをLGBTQだと捉えたことはなく、一人ひとりが〇〇さん、という個だと思っている。私も他から見たら変わってる人なのだと思う。どこがどう変か違うだけで、みんな変ではあると思う。逆に自身がノーマル(至って普通)だと思っている人は装っている人なのか自身に無知なのだと思う。
会社で受けた分析テストのひとつで「極めて差別意識が少ない」と出たこともあるので、そうなのかもしれない。
でも自分ではまだまだ差別意識はあると思っているし、それを炙り出したいとも思っている。
子供の頃からポテチとか食べると、袋の中で割れて粉々になったモノが自分と重なった。
だから、そういうのから食べる子だったし、ホールケーキ分ける時も、大抵は最後に余った飾りとか少なかったり形の悪い小さいもので充分だった。
「傷付いた」「好まれない」「目を向けられない」「避けられる」ものや人に意識がいった。
クラスで仲良くなるのは孤立していたり家庭に問題があったり貧困家庭の子で、満足に文房具などを持っていなかったりすると持ち物をどんどんあげてしまい母親から「仲良くなる子を選びなさい」と叱られた。
(この頃からお金も物も「自分の物」という意識は薄かった。)
弟妹とは同じ環境で育ってても、こういうとこ全然違うから、特質によるものなんだと思う。
不満を共有して、そこで終わってしまうのは何故なんだろう?
本気で変えたいと思っていない(そこまで追い込まれていない)からなのだろうか。
「自分は正しいから何もしなくて良い」
「社会がおかしいから他人や社会が変わるべき」
とか思っているのだろうか?
当たり前だけど自分も社会の一員であり、抱えている問題や不満を作り上げている一部な訳なので、、社会を変えたいならばまず己が変わらないと変化は始まらない。
「if you're not part of the solution you're part of the problem」
意訳
「もしあなたが解決へと動いていないのであれば、あなたはその問題の一部ということだ。」
Where there is a will there's a way.
TeaTime Lover💕
Risk Analyst, Compliance Trainer, ESG Consultant, Ethical Products Producer.