子供の頃からポテチとか食べると、袋の中で割れて粉々になったモノが自分と重なった。
だから、そういうのから食べる子だったし、ホールケーキ分ける時も、大抵は最後に余った飾りとか少なかったり形の悪い小さいもので充分だった。
「傷付いた」「好まれない」「目を向けられない」「避けられる」ものや人に意識がいった。
クラスで仲良くなるのは孤立していたり家庭に問題があったり貧困家庭の子で、満足に文房具などを持っていなかったりすると持ち物をどんどんあげてしまい母親から「仲良くなる子を選びなさい」と叱られた。
(この頃からお金も物も「自分の物」という意識は薄かった。)
弟妹とは同じ環境で育ってても、こういうとこ全然違うから、特質によるものなんだと思う。
@YuriShitoh
会社でインクルージョン&ダイバーシティの話をしていた時「しとーさん、人権意識めっちゃ高いですよね。今まで沢山考えてきてる感じがします。」と言われて、ほんとにそうなのかは分からないけど、もし高いなら何故なんだろうと考えて「そういえば子供の頃から今で言うマイノリティと言われる人達にばかり目がいってた気がする」と思い付いたのであった。
そして、確かにLGBTQの友人知人も両手で数える以上にいて、普通に何でも相談出来る友人関係であったりもする。でも彼らをLGBTQだと捉えたことはなく、一人ひとりが〇〇さん、という個だと思っている。私も他から見たら変わってる人なのだと思う。どこがどう変か違うだけで、みんな変ではあると思う。逆に自身がノーマル(至って普通)だと思っている人は装っている人なのか自身に無知なのだと思う。
会社で受けた分析テストのひとつで「極めて差別意識が少ない」と出たこともあるので、そうなのかもしれない。
でも自分ではまだまだ差別意識はあると思っているし、それを炙り出したいとも思っている。