今年の春頃にアヴィシャイ・コーエン(Bass)の来日公演があったのだけれど、協賛にイスラエル大使館がついているせいもあってかチケットがかなり余っていた。今回の侵攻に関してイスラエル出身ミュージシャンのSNSを見ると大半は全く言及しないか、矢印が自分に向くのを恐れて更新をやめているかだった。アメリカでのユダヤ人コミュニティの強固さを想像すると「なんで何も書かないんだ」と自分は言えない。でもシオニスト的側面を全面に出している人(Omar Avitalとか)がいるのは相当悲しかった。Seamus Blakeの侵攻停止を呼び掛けるポストに「YHWHの御加護が〜」みたいな返信をしているのを見た時の絶望感は今でも覚えている。
「“従軍しない”という選択肢
──あなたをはじめ、多くの有能なジャズ・ミュージシャンを輩出しているイスラエルの教育システムに興味があります。
一般的なイスラエルの教育は、(小・中学校を経て)高校を出たら、まず軍に行き、それから大学という流れ。僕が卒業したテルマ・イェリン国立芸術教育学校は高校に当たる。自分はそこを出てから、軍には行かずに、大学にも行かずにミュージシャンとしての活動を始めた。
──つまり、ミュージシャンになることで、軍に行かないという選択もできるのですか?
そういうことでもない。僕が軍に行かなかったことについては、複雑で長い経緯があって、簡単には説明できない。最終的には、軍の人に握手されて「イスラエルのステージで演奏するときに会いましょう」と言ってもらえた。という状況になっただけで、本来であれば、軍には行かなければならない。ただ、自分はたまたま行かない選択をすることになった、ということだ。
“軍に行かない”という事例は他にもさまざまあって、たとえば、宗教に強く関わっている者もその対象になる場合がある。また、個々で“行かないようにする方法”を見つける者もいるだろう。ただし、「行く」とか「行かない」とか、「行かなくていい」なんて、本来はそんな選択肢などない。」
数年前のインタビューで、シャイ・マエストロがイスラエルの徴兵制について聞かれた時、煙に巻くような回答をしていたのを思い出した。
今読むと初読時とは全然違う感想を抱く。つまりイスラエルにおいてミュージシャンは、ベトナム戦争時代のアメリカ兵に対して慰安を提供するミュージシャンと同じ役割を期待されているのではないかと
https://www.arban-mag.com/article/26306?amp=1#“従軍しない”という選択肢
ジャズはよく言われるように黒人音楽とユダヤ人音楽両方の歴史歴性質(ディアスポラの音楽)を持っていて、特に近年はイスラエル出身で国際的に活躍するジャズミュージシャンが多かった。けどやっぱり去年の侵攻以降は表立って評価するのが憚られる空気がSNS上にはあると思う。
江口聡の本だと思いながら読んでいたら児玉聡の本だった。どっちも倫理学者なので混ざる。
ブックフェスティバルは中二の頃御茶ノ水の駿台で模試を受けた後、疲れ果てて間違えて神保町の方に歩いていったら偶然やっていたというのがファーストインプレッション。その時は本について何も知らなかったので適当に昔のプロレスムック本を買った記憶がある
電車の中が一番読書できるので、最近は帰り道に定期ある路線の最終駅まで行って帰ってきたりしてる
建築を勉強したいと思っている