さらにその後、中野重治全集16巻の啄木論を読む。加藤の書いた中野の文体論に新しくまた撲たれたから。中野はこう書いている。
「さらに考えてみると、そういう性急な考え方、目の前に出てきた問題、その問題から逆に他の人びとを攻撃して行くというあわてふためいた考え方、進み方というものが日本人に昔からあつたのかも知れない。なぜかというと、啄木によりますと、日本の政治組織、社会組織、国家と人民との関係、これが日本人の性急な思想を育てるに非常に役立っている。たとえば、忠君愛国となると、もうすべてが一本に統一せられ、忠君愛国についてさらに考えを深めよう、そこから出てくるさらに新しい疑問について考えようとすると、これをいきなり国家も社会もたたきつけてしまう。そこで啄木のいうのには、こういうあわてふためいた考え方の根拠が、日本の国家というものにあるのならば、その日本人が国家について真面目に考える揚合、そこでこそ、国家問題に関する人びとの考え方がいちばん深いところまで進むべきではなかろうか。たとえば日本で長いあいだ、天皇中心主義が力を振るっていましたが、この天皇中心主義が非常に力強いものだつたと
いわれていまして、それには理由もあるのですが、啄木が書いた一九一〇年と同じように、三十八年たつた今日にも、三十八年まえと非常に似たことが、もう少しハイカラな外国語なんかでいわれていまというところに行くのであります。」
「啄木は、自分以外の誰かにも何かにも頼まないで自分で問題を引きうけてそれをどうにかしようとした。それが彼の文学だつた。かりに日本の後れということを持ちだすとすると、啄木は他の何かによつてこれをあざ笑わないでその後れそのものに立ってそれの処理、解決、発展を考えた。そしてその考えを自分の手あしを働かしていくらかでも実現しようとした。そこを私は「尊い」という言葉で思うこともある。身と心とに沁みる一つには彼の文体ということもあつた。文体ということを私は詩も短歌も散文もふくめていう。それは、あつかわれた事柄の硬軟にかかわらず本質的に質実だつた。本質的に健康で剛健だつた。それはよき文学の真の軸であり、また何かを切実に求めて行く人間のどうしてもそうなるほかはない真実のものだつた。その死から半世紀以上して、あらゆる弱点を勘定に入れてもこれが残るというこの啄木の事実、そしてこれが、人を酔わせる特殊な美味として教育であるということを私は尊重し尊敬する。日本のすべてのジェネレーションが、もう一度啄木をくぐることは重大なことであるだろう。その結実はいわば啄木風にいろいろに空想することができる。」