1989年にニュースでベルリンの壁が壊されている映像見たり、ソ連崩壊とかいうニュース見たとき「おー、歴史の転換点にいるわ、おれたち」みたいな感覚あったけど、今は全然真逆な感じやけど「歴史の転換点にいる」と言う感じがする。
ポンニチでいう平成時代の元年は自身が若さに満ち溢れててなんでもできるし、仕事は何でもあるから体力があればお金は稼げるし未来にはいいことしかない感じやったが。
あれから35年。
国家が大虐殺繰り広げても止める国がないどころか支援しまくってるし。
かの国であんな大統領が誕生してしまうし。
県知事選挙で大ウソつきの狼藉者が大暴れしてそっちの被支援者の方が当選確実になりそうとか?
自分も耄碌してきたしなあ。体力なんてもう持病を得たころからほんまに無くなってきたし。
頭も体力もヤバい状態でどうやってやってくかなあ。世の中のおかしな流れに逆らいつつも。
いやー、生存権ってそんな極限状態の話ではないでしょう。もっと人間らしく来年とか再来年の欠乏を意識せず生きられる権利、くらいの枠じゃない?
米山の行動指針の本質は「チヤホヤされたい」でしょう。だから自分が話題の中心になれると感じたことならなんでも関与するし、やりかたも問わない。これはTwitterが2ちゃんねるの掲示板と同質のものになっていることのあらわれでもある。自分の発言(=スレとコメ)で場が沸くことの快感に溺れていることを自覚できていないということ。
Twitterを読む/Twitterに書き込むということは、そういう世界に飲み込まれにいくことだという自覚が必要。そのうえで「とはいえまっとうなものも置いておかないとやばいよね」というスタンスで関与しないとならない。
富山チューリップテレビ、本当に凄いね。自民党の幽霊党員の仕組み解明。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1557722
愚痴ならいいけど悪口だし
これわたしのなかですごく大事。悪口になると聞いてられないって感じてしまうんだけど、線引きはどこなんだろう。
今朝の「悩みのるつぼ」は私と年回りが同じくらいの方の、切実な相談でした。二十年以上つきあってきた友人の愚痴がきつい、愚痴ならいいけど悪口だし、二時間も続くし、言ったあとは向こうはさっぱりしてるし、でも大事な友だちだし、という。
「年をとると、抑制がきかなくなって、悪口が止まらなくなる」的な問題もあるようで、「ひとごとではないのだ」と思いました。私の友だちは愚痴っぽくない、悪口を言わない人が多く、それに比べて私はいつもかっかしてる方。気をつけないと。年をとると体力頼みの忍耐がきかなくなるから、ちょくちょく自分の線を引き直すような、修行めいた自省が必要になり、自分でひやひやする。でも、それをやめて野放図になるのは悲しいしね。
通信制高3(卒業延期)息子と共に暮らす氷河期世代シングルマザー。司書資格持ち。心理学専攻だったのに建築の仕事してます。合気道とヨガにドはまっていて、常にアザと筋肉痛を抱えている。のし梅のシートの匂いが好き。