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【再掲】
東京新聞長期連載『ふくしまの10年』より『見えない放射能を描く』(2020年6月30日〜7月11日/全10回)

(1)感じた空気を伝えよう
tokyo-np.co.jp/article/38809

 雨が止まない中、今日のミッションの1つでもあった小高の双葉屋旅館へ。そこでは、「おれたちの伝承館」の一番の理解者であり協力者であるご主人と女将さんと、山川さんの助け舟もあり、いろいろな話が出来ました。そこには、元南相馬市長で今は市議会議員の桜井さんも来ており、名刺を渡して来ました。いろいろと積もる話もありましたが、とりあえず30日、再び双葉屋旅館に行くことになりました。

 双葉屋旅館を出た後は、双葉の漬物工場や前田団地跡地、夜ノ森に寄りつつ帰路につきました。ダンプ置き場になってしまった前田団地、ことあるごとに利用される桜並木。見れば見るほど、人間の愚かさをまざまざと見せつけられる思いでした。

 3/25、26の2日間、山川さんにはおんぶに抱っこで随分と助かりました。30日も、山川さんが福島取材に向かうとのことで、小高まで同乗させてもらいます。5月に個展がありますが、それに向けていい刺激をもらいました。しっかり制作に生かします。ありがとうございました。

【積算線量】
2023年3月25日 4.38μSv(約8時間)
内訳:いわき四倉(通過)9:00〜飯舘村沼平(宿泊地)17:00

2023年3月26日 3.45μSv(約10時間)
内訳:飯舘村沼平(宿泊地)8:00〜いわき中央(通過)18:00

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 その後、超高線量地帯である浪江町小丸を目指しましたが、悪天候のために今回は断念。そして、以前より目をつけていた、末森の介護施設へ向かいました。復興拠点ではあったものの、帰還困難区域だったためにそのままの姿で残っていた介護施設は、本降りの雨の影響もあって、なかなかの雰囲気でした。駅からまっすぐ来れば5kmもない場所なので、ここにはまたいつか来たいと思います。↓

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 雨が本降りになるなか、飯舘村から今度は浪江の帰還困難区域内へ。DASH村や赤宇木などを巡って来ました。山中の汚染はなかなか凄まじいものがあり、4〜5μSv/h以上の場所もいくつもありました。今年1月、大熊の未除染の場所で6μSv/h以上の場所を歩きましたが、浪江の山中もそのレベルで汚染されていることを実感しました。日本政府は2020年代にこれらのエリアを全て避難指示解除するといいますが、ここで暮らす人がたとえいなくとも、例えば誰かが山菜を取りに来て、それが道の駅などに並んだらどうする気なのか。今だって、「放射能なんて大したことない」と、出荷停止になってるような地域であえて山菜を採取して売るような人もいるというのに。疑問ばかりが膨らむ。↓

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 今回、初めて飯舘村に行ってみて、海沿いの富岡大熊双葉浪江と比べて、随分と「復興」している印象を受けました(何を「復興」とするかはさておき)。震災前の3分の1しか人口がないとはいえ、村の中心部らしい場所からは人の気配が感じられ、山中には耕作放棄地が見受けられるものの、やはり人里近い場所の農地はとりあえず人の手が入っており、半壊もしくは全壊している家屋もそれほど目立ちませんでした。何故だろうと考えた時に、やはり頭に浮かぶのはコミュニティーの存在です。もちろん、震災前と比べて縮小したとは思いますが、完全に破壊されるところまではいかなかったのだろうと思いました。

 もちろん、1日見ただけの印象なので、見当違いなことを言ってるかもしれない。でも、少なくとも、富岡や大熊や双葉や浪江よりはコミュニティーが守られていると感じました。こうしたコミュニティーから自然発生的に「復興」していくのが、理想ではないだろうか。↓

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【2023年3月福島取材その2】

 3月26日、取材2日目はいつもよりゆっくりスタート。6時半に起きて、伊藤さんから言われた7時に朝食を食べに降りていくと、2019年夏以来となる庄司圭一さんが差し入れを抱えてやって来てました。前の晩、ウイスキーにまで手を出した割には意外とスッキリ起きられた僕は、5bq/kgだという玄米のお粥だけでは足りず、差し入れのチャーシュー丼もしっかり食べさせていただきました。ごちそうさまです。

 この日、伊藤さんは10時から会合があるということで、その前に少し飯舘村を案内してもらうことに。今も帰還困難区域である長泥地区のゲートや、今やだいぶ減ったものの、飯舘村にはまだ依然として残るフレコンバッグの仮置場、耕作放棄された農地などを巡りました。長泥地区ゲートの脇にはホットスポットがあり、線量は2μSv/h以上ありました。しかし、伊藤さんもいうように、浪江や双葉や大熊の高線量地帯を歩いてしまうと、飯舘村の汚染がかわいく見えてしまいます。

 その後、伊藤さんに別れを告げ、僕ら一向はさらに飯舘村を巡りました。仮置場では足りなくなって、新しく出来た仮仮置場。その広大さに、いったいどれだけ予測を見誤っていたのかと呆れるばかりでした。↓

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 昨日とおとといは「おれたちの伝承館」関連の用事で小高へ。行きはいつもの電車ではなく、今度も東京新聞編集委員山川さんの車に乗せてもらって。

 途中寄った夜ノ森では、豊田直己さんとばったり。祭りの準備がされる夜ノ森と、双葉高校の脇で作業員以外誰にも見られることなく咲いている桜並木の対比がとても印象的だった。

 小高では、地元の方々から様々な差し入れをいただいた。みんな口々に「これは測って出なかったから大丈夫」「これは5ベクレルだから俺は食う」そんな言葉がポンポン出てくる。「測らないから怖いんだべ?」放射能と生きるとはそういうことなのだ。

 請戸では柴栄水産にてヒラメとタコの刺身、ホッキ貝をゲット。これらの産物に、トリチウムをはじめ、基準値以下とはいえたくさんの放射性物質が降り注ぐ…まして、あの東電が、本当に「基準値以下」で放出するのか…考えると、ゾッとしてとてもとても嫌な気分になった。

 道の駅なみえで磐城壽をはじめ酒を何本か、さらに柴栄水産では売り切れていたシラウオをゲットし、飯舘村へ移動。そこで、以前からSNSで拝見していた伊藤延由さんと初めて対面。人見知りの激しい僕は、物腰の柔らかな伊藤さんでもなかなかうまくコミュニケーションが進みませんでしたが、酒が進むにつれ暴走気味にw 結局、最後は山川さんのボトルキープのウイスキーにまで手を出して、午前1時頃(と記憶している)に寝ました。

<続く>

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 その後は請戸へ。東電が汚染水を放出するために1Fから1km先の海底放出口に作った測量用やぐらをズームレンズで撮影。これが、今週には撤去作業が始まるという。いよいよ汚染水放出が目の前に来た。↓

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 その後大堀へ移動。ここも帰還困難区域ではあるものの、一部窯元の周辺は避難指示解除されるという。そこでも、案の定高線量。全体的に0.8〜2.5μSv/hで、場所によっては5μSv/h近い数値が出る場所もありました。除染中だったため大量のフレコンバッグがありましたが、そこに書かれていた表面線量は3μSv/hを超えるものもあり、やはりこの辺りの汚染は酷いと痛感。

 SugarNatさんと別れ、大堀小学校跡へ。つい先日、遺された少年像が移動されたと山川さんの投稿をシェアしましたが、移動して「防災センター」を作るのかと思えば、出来たのは「ポケットパーク」。つまり、“大堀小学校がそこにあった”というただの記念碑的なスポットを作っただけでした。その脇には、雑草が生い茂って荒れ果てただだっ広い更地が拡がるのみ…一体、何のために、あんなに急いで五輪開催直前に校舎を解体したのか。「何だよこれ」とただただ叫ぶばかりでした。↓

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 3/25、26は東京新聞の山川さんと浜通りへ行ってきました。

 1日目は、今月末に避難指示が解除される津島へ。僕は津島を歩くのは今回が初めて。線量は概ね0.6〜1.5μSv/hといったところか。調べればもっと高いホットスポットはいくつも出てくるとは思います。

 津島でSugarNatさんと合流、彼や山川さんの持つ高精度の測定器と購入から4年が経過した僕のガイガーフクシマを比較し、今も精度は保たれていることが確認できました(むしろガイガーフクシマの方がやや低めに出る)。

 今回見た中では、4μSv/hを超えるスポットを発見。そこは排水溝から泥上げした場所でした。今後、こんなパターンはあちこちで起きると思う。その度にフォローアップ除染のいたちごっこ。そしてこんな状況を巻き起こした東電は知らんぷりで、絵に描いた餅のような「廃炉」で「やってるふり」をする。

 まもなく避難指示解除ということで、新しい町営住宅に入居すると思われる人が、三世代揃ってお墓参りに来ていました。避難指示解除後、商店も診療所も何もなく、宅急便も届かないといわれる津島地区。それでも帰りたい人は帰る。僕には、かつてここに住んでいた人たちの心を行政が弄んでいるように見えた。どうにもやりきれない。↓

【個展のお知らせ】

鈴木邦弘個展
『ずっとここにいた 〜ReConstruction FUKUSHIMA』
2023年5月8日(月)〜13日(土)
12:00〜19:00(最終日16時まで)

ゆう画廊・5階
東京都中央区銀座3-8-17/5F
ywgarou.jimdo.com
MAP: goo.gl/maps/22hpaPcJ2tmBHv6F7

昨日は個展会場に急遽あがたさんが来訪。トークイベント後に、即興でライブとなりました。なんて贅沢な! また機会があればよろしくお願いします!

今日は早くも最終日です。16時まで!
QT: fedibird.com/@SZKN29/109936078
[参照]

鈴木邦弘  
【個展のお知らせ】 鈴木邦弘個展 『まぼろし 〜ReConstruction FUKUSHIMA at SOKA』 2023年3月15日(水)〜19日(日) 11:00〜17:00(初日13時から/最終日16時まで) ●朗読と福島のいま 2023年3月18日(土)14:00〜16:00 予...

 原発事故により何が失われ、しかし一方でどのように市民が考え、立ち上がろうとしてきたのか、しっかりと後世に残していかなくてはいけないと思います。原発と同じように上から降ってきた「復興」など、“まぼろし”に過ぎません。しっかりと過去、現在を見つめ伝えることで、未来へ向けて動き出すことが出来るのではないでしょうか。

鈴木邦弘

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 震災後に生まれた子供も、今や小学5、6年生となりました。地震や津波の伝承は盛んにいわれますが、原発事故についても、伝承していかなくてはいけません。浜通りでは、イノベーションコースト構想推進機構の主催で2024年度に「ふくしま浜通り国際芸術祭」が行われるといいます。しかしそこで掲げられているのは、風評払拭であり原発事故のイメージの払拭であって、伝承という視点はありません。現在進行形の原発事故ですが、その被害の実相は忖度のベールに包まれており、さらに国策アートによって上書きがされようとしているのです。↓

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今日から個展が始まりました。以下、ステイトメントです。

 2023年3月をもって、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年を迎えました。コロナ禍に入り、震災から10年を経た頃から報道、特に原発事故に関する報道が減り、今や福島は完全に復興したかのようにいわれています。確かに、中通りや会津、いわきなどでは日常を取り戻したかのように見えますが、見えない汚染は今も残っています。また、原発周辺の町では、除染、解体という陸の津波が押し寄せ、避難指示解除後も人々の暮らしの気配さえ見えない状態が続いています。原子力緊急事態宣言はまだ発令されたままですし、「わずか数%」といわれる帰還困難区域も、紛れもなく福島県なのです。↓

震災後、3.11は基本的に自宅で過ごす。仕事の休みが取れない場合でも、介護職ということもあり、利用者とともに14時46分に黙祷してきた。2019年の3.11は、金沢でのもやい展を終え帰路に就くなかで、浪江町の元原発作業員とその時間を迎えた。今年も僕は家で黙祷をする。

来年以降は、「おれ伝」も出来るし福島で迎えることになるのかな。どこで迎えるにせよ、静かにその時を迎えたいと思っている。

【個展のお知らせ】

鈴木邦弘個展
『まぼろし 〜ReConstruction FUKUSHIMA at SOKA』

2023年3月15日(水)〜19日(日)
11:00〜17:00(初日13時から/最終日16時まで)

●朗読と福島のいま
2023年3月18日(土)14:00〜16:00
予約制のイベントとなります(定員20名)。3月17日までに以下のTEL、FAXもしくはメールアドレス宛にお申込ください。
※新型コロナウイルス感染予防のため、マスクの着用をお願いします。

Cafe & Gallery のんの
MAIL: nonno@dc4.so-net.ne.jp
MAP: goo.gl/maps/Wr6vqSq48xYrsbAj8
主催:キビタキとわらしの会

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ケツに火がついた状態ですが、頑張って描きます作ります。
よろしくお願いします。

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