最近はしょっちゅう鬱っぽくなってちょうど昨夜なんかもベッドで丸くなって「しにたい…しにたい…🥲」になってたんだけど、この映画で"ひめゆり学徒隊"の生存者の方々の語りを聴いていて、本当に信じ難いような語りで壮絶だとか地獄などという言葉ではとても言い表せないようなものなんだけれども、とにかくもあたしが死んでる場合ではねえぞという気持ちになった。それはそれとして鬱は来る時は来るんだけれども、今の心情としてはそういう感じ。2006年に公開されたというこの映画に出演された女性たちのどれだけが、今もご存命でいらっしゃるのだろうか。今となっては何が何でもこのフィルムが残されて、上映され続けてほしいと思う。「記録映画」というのはこういうことなのだな。
8:20に飛び起きてヤバイ!8:30からミーティング始まる!!遅刻する!!と思って爆速で顔洗ってパン食ってたらまだ7:25だった。1時間間違えてた。コワ
ハチャメチャにミッドサマーで本気で困惑してる
Red Velvet 레드벨벳 'Cosmic' MV https://www.youtube.com/watch?v=FyG21rXCxlY&si=Yq8inmbyouvhLCKU
私は現在、人権運動において一人のマイノリティ当事者を「アイコン」(あるいは「人柱」)にすることに批判的な立場を取っています。 矢面に立つ決断をされた方の覚悟は心から尊敬します。しかし、運動というものは上記のように一人でやれるものではないと思い知った今、矢面に立つ人がいるということは、その人を矢面に立たせる方向に進めた誰かあるいは周囲の人々がいることも知りました。 矢面に引っ張り出された当事者は、その後も差別構造が盤石なこの社会を生きていくのです。少し考えればわかるように、それは困難極まります。一個人のマイノリティ当事者を攻撃の矢面に立たせる(引っ張り出す)なんて状況は、本来起きてはいけないことです。 私たちの活動は誰も矢面に立たない方向性を選択しました。そのため、SNS/インターネットではほとんど何も公表していません。私がロビー活動をしていると明かすことも今後ないかもしれません。そのため、私含めメンバーはSNS/インターネット上では「なにもしていない」と見做れるのだろうなと思います。しかし、皆それぞれ、できることを可能な限りやっています。 冒頭に戻りますが、「沈黙は加担」という言葉を向ける先を誤らないでください。他者に向けるためのものではなく、権力と己に繰り返し問うためのものです。
SNS等で活動を公表していなくても、動いている人たちはいるし、自分にできることをやっている人たちは思ったよりたくさんいます。私も活動の全てを書いたり載せたりはしていません。 「沈黙は加担」という言葉は、弾圧あるいは排斥される当事者がそう声を上げることは当然でありつつも、支援者/アライ/非当事者までもがそれに乗っかるのは社会のエイブリズムを加速させる面もあります。また、マイノリティ当事者の声をマジョリティが自分事に引き寄せすぎることで「怒りの乗っ取り」が起こり、運動がマジョリティにとって都合のいいものとして利用されてしまう(マジョリティ側の他の狙いと抱き合わせにされてしまう)ことも、間近で見てきました。 皆それぞれの場で、できることをやるしかないです。できることを探そうにも、何かをやろうにも、それさえタイミングやチャンスという運の要素があるのも事実です。できない人を責める社会にしてはいけないですし、できる人を担ぎ上げる社会にしてもいけないです。
『骨を掘る男』を観てきた。
沖縄戦で南部のガマや壕に追いやられた戦没者の無数の遺骨を40年以上掘り続ける具志堅隆松氏を撮ったドキュメンタリー。
「忘れない」「風化させない」とかいう次元の話ではなく、「終わっていない」のだと知った。遺骨が混じった土砂を、辺野古に埋め立てる。これから先の軍事のために。「忘れない」などと言っている場合ではなく、確実に今現在に、日本すべてに、世界に接続している。
Mugiko ANAN
Queer / ALLY 🏳️🌈🏳️⚧️
Stop Genocide Right Now🇸🇩🍉
文学と音楽と映画とアイドルとVtuberとシーシャが好き
Profile Illustration : ユラユラ人類学