紅麹サプリの健康被害が問題になってるけど、このサプリも指定されていた「機能性表示食品」、なんか怪しいと思っていたら、アンジェスの森下竜一が作ったものなのね!
コロナワクチン詐欺、大阪万博の総合プロデューサーの森下竜一。
例の車いすの話、バッシングする人は自分が障害者の乗った車いすを持ち上げるのを想像して、無理だ!嫌だ!って反発してるんでしょ?(まぁ一人でそれをやるのは実際無理だけど)。
つまり、ケアしたくない!っていう強い感情表明なんじゃないかな?
高齢者集団自決論も、昔は女性が介護を担っていたから、「年寄りは大切にしよう」とか「親を施設に預けるなんてひどい嫁だ」とか言ってたけど、少子化や未婚化が進み、男性も自ら親や配偶者を介護しなければならなくなったら、急に「年寄りは早く死ね!」になった気がする。
男性が介護せざるを得なくなったら、介護の社会化がより進み、介護職の給料が増えて人員が増やされると期待していたんだけど、まさかそっちに行くとはね🤷
元DV加害者のえいなかさんが、「加害とはケアの欠如である」と喝破していたけど、要はそういうことだよね。
私はThredsのアカウントを持っているのだけど、それは、インスタで趣味で繋がっている人に向けて、政治問題を自分なりの文章で発信しているもので(うつ脳なので、たまーにしか投稿出来ないんだけど)。
今日びっくりしたのは、久しぶりに自分の過去投稿を見たら、いつの間にかすごくFavされてる投稿があったこと。
これは、Threds(インスタ)特有のアルゴリズムのせいなんだろうな。X(旧Twitter)やmastodonでは、やっぱりほぼ時系列に沿ってフォロー中アカウント中心に投稿見るから、バズる投稿は、投稿して数日以内にバズるじゃない?(例外はあるだろうけど)
でも、元々インスタは、RT機能がないから、自分のタイムラインには、フォロー中アカの投稿か、自分がFavしたりリンクを踏んだ情報からインスタが勝手に判断しておすすめしてくる投稿しか出てこない。
ThredsはXと同じく「おすすめ」と「フォロー中」の2つのTLがあるけど、皆「おすすめ」中心に見るんだろうなあ。私の結構Favされた投稿もRTは少し。情報の広がりは、アルゴリズムにお任せってことなんだろう。
良し悪しは分からないけど、文化の違いと情報の伝播状況の違いを感じられて面白かった。
活動したボランティア数
・1995年阪神・淡路大震災
震災から1カ月で延べ約62万人
・2011年東日本大震災
2カ月足らずで約22万5000人
・2024年能登半島地震
2カ月以上過ぎた時点で延べ7116人
『能登の災害ボランティアが足りない 志願者のやる気をくじいた要因の数々 被災地入り「自粛論」の的外れ』
“男性同士で自分たちの悩みや傷つきについて語り合うグループを定期的に開いていますが、多くの参加者たちが身体的特徴をあげつらったからかいやいじりを受けていることが見えてきました”
『受け流されてきた容姿への「からかい」 男性学で読み解く麻生氏発言』
24時間無料で読めます↓
https://digital.asahi.com/articles/ASS3853LPS35ULLI00C.html?ptoken=01HRS2587AT5F61NMFZ3KGAYC8
その人が他の人から受けている視線や態度って本人しか分からない。
昔、職場の女性の先輩に「女性は、50歳を過ぎると生きるのが楽になる」と言われて、女性は若い方が優遇されるからそんなことないんじゃない?と当時は思ったけれど、これは本当だった。
あの性的な目線から逃れられるだけで、どんなに楽になったか。夜道やさまざまな場所で、いつ襲われるか分からないという、あの恐怖、緊張感から逃れられて、どれだけ生きやすくなったか。
あと、障害のある我が子と一緒の時の、あの視線。(でも、我が子が大人になった今は、割と温かい目で見られるようになったのは、我が子が大人になったからなのだろうか?それとも時代が変わった?)
さらに、脳性麻痺の人と一緒に歩いた時に受けた視線は、そういう視線に慣れた私ですら怯むものだった。
私は55歳を過ぎた頃からかな、自分に権力があることに気づいたんだよね。私に対する子どもや若い人の態度に、敬意や恐怖が混じるようになったり、若い頃には、挨拶してもまるで私が存在しないかのように無視してきた近所のおじさんが、挨拶を返してきたり。ああ、権力ってこういうことなんだ、と思った。
権力を持っているっていうのは本当に楽で心地よいんだよね。
男性っていうのは、かなり若いうちからこういう扱いなんだろうな、とも思う。
で、自分も、最近近所の年長者とすれ違う時には緊張して挨拶しなきゃと思ったりするのに、子どもや学生の存在は無視していることに気づいて愕然とした。
もう、NHK大河『光る君へ』が良くて良くて🥺
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“グローバル・コミュニティー (Global Community)
ニコライ・カルパチアを「主権者」と仰ぐ世界政府。イラクの地に新たに建設した「ニュー・バビロン」を首都とする。人類の統合と世界平和という美しい理想をかかげつつ各国の武装解除をすすめるが、自らは兵力・暴力をもって、コミュニティーに反発する国家・個人を潰していく。
エニグマ・バビロン・ワン・ワールド・フェイス (Enigma Babylon One World Faith)
グローバル・コミュニティーにおいて事実上の国教の地位にある新しい宗教。世界中の宗教を寄せ集め統合した教義を持つ。この宗教の聖職者を信道士(フェイス・ガイド)という。その祈りでは「宇宙の父母」や「動物神」が語られる。聖書の記述もあくまで象徴や比喩として解釈し、トリビュレーション・フォースが信じるような「原理主義的」解釈を狭量なものとして否定する。”
これが「悪者」として書かれていて、これを信じる人がアメリカにかなりの数存在しているということ、それの結果何が起こるかを考えると、愕然としてしまう。
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あ、wikiの前に。上記記事より一部抜粋。
(『レフトビハインド』シリーズは)“飛行機のなかで突如として消える、神によって天に挙げられた「敬虔な信者」たちと、そのあとに残された(left behind)不信仰者たち、さらにはイスラエルがイランやロシアとの戦争に勝利していく姿がヴィヴィッドに描写されている”
『レフトビハインド』wikiより一部抜粋。
“ニコライ・カルパチア (Nicolae Carpathia)
ルーマニアの下院議員から、国連事務総長、そして世界を統合するグローバル・コミュニティーの「主権者」へと登りつめた男。その正体は反キリストであり、邪悪な本性を持つだけでなく、記憶など人間の精神に干渉する得体の知れない力の持ち主である。”
“ピーター・マシューズ (Peter Mathews)
携挙された ローマ教皇ヨハネス24世の後を継いで教皇となるも、やがてニコライ・カルパチアのもとエニグマ・バビロン・ワン・ワールド・フェイスの最高神祇官として、グローバル・コミュニティーの宗教面での指導者となる。カトリック教会が唯一の真の教会であるという考えを有害なものとして否定し、処女懐胎を文字通りに受け取ることも愚かだとする。”
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こんな、日本人から見たら荒唐無稽としか思えない思想が支持を集めていったのには、いくつかのベストセラー本があったらしい。
“リンゼイ以上のメガヒットとなったのが『レフト・ビハインド』シリーズ(1995–2007年)である。サンディエゴのメガチャーチ(2000人以上の会員のいる教会)の牧師で、保守的な政治活動家でもあるティム・ラヘイによる全16巻からなるこのシリーズは、2016年までに8000万部を売り上げており、児童書やスピンオフ作品、さらには映画版も2023年にリリースされた2023年の最新作を含めて5作品でている。とくに2014年の映画『レフト・ビハインド』は名優ニコラス・ケイジの主演となっており、キリスト教サブカルチャーにとどまらず、メインカルチャーにも浸透しているといえる。”
この映画『レフトビハインド』がU-NEXTにあったので観てみたが、「世界の終わりの始まり」に神を信じている者だけ突然天国に召されて、地上に残された者がこれから艱難の日々を迎えるらしい、ということは分かったが、イスラエル云々は出てこず、続編も日本語版はないようだ。原作本の日本語版を読む気力もないので、Wikiを見てみたら、次のようにあって絶句した。
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“「ディスペンセーショナリズム」によると、この約束はユダヤ人たちがローマ人によってイスラエルの地から追放されたあとも破棄されておらず、むしろ、いつの日にか約束の地にユダヤ人の国が神によって再建されるというのだ。またさらに重要なのは、この聖書の箇所にあるように、「ユダヤ民族を祝福するものを神は祝福する」という約束をディスペンセーショナリストたちは字義通り受け取っており、そのためユダヤ人の国家建設を支援するようになったともいえる。”
“20世紀初頭になるとこの考えは、聖書をそのまま神の言葉と認める「キリスト教原理主義」のなかに広く浸透していき、当初は進化論否定とともに、原理主義者たちを嘲笑う要因のひとつとなっていた。しかし実際に1948年にイスラエルが建国されると、預言が成就したと活気づき、中東をとりまくきな臭い状況は世界の終わりの始まりと解釈されるようになる。”
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前にも書いたけど。
なぜアメリカがイスラエルを支持するのか。なぜトランプを再度選ぼうとしているのか。曲がりなりにもこの記事で理解した。
『福音派のキリスト教シオニズムと迫り来る世界の終わり』
https://newspicks.com/topics/religionandglobalsociety/posts/14
「ディスペンセーショナリズム」という非常に特殊なキリスト教終末論を下地にしている「キリスト教シオニズム」が、アメリカ人の中にかなり深く浸透しているらしい。
【一部抜粋】
“「ディスペンセーショナリズム」とは、19世紀末にイギリスで発案されたユダヤ人と世界の終わりについての神学的な考えである。歴史的にキリスト教会では長い間、イエス、あるいは教会こそが、旧約聖書で約束された真の神の民であり、したがってイエスを拒否し、死刑としたユダヤ人は神に遺棄された、滅ぶべき民とみなされてきた。それが世界各地での反セム主義の原因のひとつだったともいえるだろう。それに対して、「ディスペンセーショナリズム」よると、神は時代ごとに異なった契約を人間と結んでおり、イエス・キリストが到来して世界のすべての国民と契約を結んだあとも、ユダヤ人との契約はまだ継続しているという”
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ベアテ・シロタの両親ってユダヤ系ウクライナ人だったんだ!
1929年ベアテが5歳のときに日本に亡命してきた、と。
1939年アメリカに留学するが、日米戦争のせいで両親と連絡が取れなくなり、日本にも帰れなくなった。
で、帰るためにGHQのスタッフになり、1945年、焼け野原になった東京に戻ってくる、と。
なんかすごい話。
この稀有な経歴の持ち主が、その後の私たち日本人(特に女性)の運命を変えた。
憲法24条死守しなきゃ、だし、ウクライナやパレスチナの件も日本国憲法を託された私たちが黙っちゃいけない、と思う。
旧西ドイツより旧東ドイツの方が男女平等が進んでいたなんて、知らなかった!
https://www.vogue.co.jp/change/article/german-reunification-women-in-ddr
共産圏の特徴なのかな?日本より中国の方が男女差小さいもんな。
それにしても西ドイツ、”1977年までは、事実上夫が妻の労働契約を勝手に解約することもできた”って結構遅れてるな。その頃までは日本の方が進んでいたのでは?日本にはシロタさんが憲法24条を起草してくれたし。
最近、よく思い出す。いつごろだろうか、久しぶりにジャンプを手に取って読んで時のこと。『ドラゴンボール』がまだ連載中で、他のマンガも戦い物、というのか、強さを競って様々な相手と対戦するというマンガばかりになっていたことに、とても驚いた。ファンの方には申し訳ないが、その子どもっぽさに驚いたのだ。
昔の少年マンガは、手塚治虫を見ても分かるが、決して「子どもっぽく」なかった。そして、少女マンガは、当時、昔より遥かに「大人っぽ」かった。多彩で普遍性を持つ内容が多かった。
で、近年アニメアイコンのネトウヨや表現の自由戦士たちを見るようになり、そのことを思い出し納得した。女性の置かれている立場の困難さに比べ、まさに子ども部屋にずっといるような安穏とした中で育った元少年たちは、ずっと子どものままで、権力を握るようになった。それの成れの果てが、今なのだと思う。
重度知的障害のある子どもがいます。福祉(公助)が充実した国に日本がなることを切望しています。
右翼思想のコアに女性蔑視があることに気づいてから、女性差別が関心の中心です。