一番の目的だった『ヒロシマの男』を読む。著したのが1947年。よくこの時期にこれだけの描写を、と思う。巻末の解説には、アメリカの厳しい情報統制の中、同じアメリカのジャーナリストが被爆者へのインタビューを元にしたルポルタージュを1946年に発表しておりレムもそれを読んだだろう、とある。街の惨状のリアルさはそれ故と。
訳者の一人は、現実には見ることがかなわない爆発の瞬間の光景をSF的想像力で描写している点を評価しているが、私が唸ったのは主人公の友人でありスパイ仲間のサトウ・ウィットンの言葉だ。
日本に派遣された彼はヒロシマで被爆する。彼が“ヒロシマの男”だ。イギリスの父と日本人の母のハーフだが、主人公は彼をイギリス人だと言っていた。奥底に隠された東洋的精神性を感じながらも。
しかし大阪の病院で死を待つサトウはイギリスに帰ろうという主人公に言うのだ。ここが自分の家だと。アメリカの学者が歴史ある都市を滅ぼした。そして新しい時代が来たという。すごいスクランブルエッグを作っちまったと言う奴もいた。
すごいタイミングで読んだな、と思ってる。