国家としてのイスラエル憎しでついに「○○の店屋だったら、イスラエル人お断り」「海外旅行でイスラエル人に会ったら(口だけで)ぼこぼこにしてやる」というポストが虐殺への抗議で毎日スタンディングしている人からRTされてきた。私は泡を吹いて倒れた。
そんならおれら和人もあちらこちらで出禁の上ド詰めされようや。
もうありえん。人種、国籍だけで「敵国人」扱いかよ。パレスチナへの攻撃に反対しながら発想が日帝なの本当に勘弁してほしい。
地元や日本を盛り上げるためにそこに貢献してくれる企業に投資します!俺が地元の運命握ってます!みたいな起業家投資家の人らがシェアハウスに来るんですが、「地元を盛り上げるために女性に子供を産んでもらって産後も働けるように整備していかなければならない」とか言ってて日本はよ滅ばんかなって思いました。
倫理的じゃない読み方や楽しみ方をしてしまうのは仕方ないんだけど、倫理的じゃないことをしてる自覚はないとだめだよな〜
おっさんずラブ リターンズを擁護する文脈で「BLはファンタジー」「BLは現実とは違う」「二人が差別されるところは見たくない」という意見を目にした。
ドラマは見てないから是非はおくとしても、BL愛好家かつ性的マイノリティ(LGBTQ)の端くれとして、BLを言い訳に使われるのは正直腹立たしい。
法的な制度から日常の些事まで痛みに満ちた現実を飛び越えて(当事者含む)私達が望む愛ある世界を自由に柔軟に描けるのがBLというファンタジーだと私は思っている。
現実に生きる性的マイノリティの存在やその苦しみを無視する意味で、BLは現実とは違う、BLはファンタジーというのはBLの進化とは真逆だし、ただの差別で加害だ。
……というか。BL愛好家ってだけで加害者認定されるのも嫌だけど、現実の当事者を都合よく消し去りながら加害も差別もしてませんって言い張る“腐女子”に何回うんざりさせられればいいんだろうか。BLのご都合設定は大好きだけど、そんな“腐女子”のご都合は迷惑でしかない。20年以上前からずーっと同じ議論をしてきてるはずなんだけどなぁ。まだ、これか。
https://toot.blue/@Mihiro/112026415567619288 [参照]
https://www.youtube.com/watch?si=fWJULxsUJSoW4c7y&v=H0pjNtTOZ_g&feature=youtu.be
例の"手話を取り入れた"MVを見ました。
置き換え手話なのは予想通りだったけど、そもそすごく抽象的で翻訳の難しい歌詞を文法も何もなく単語の羅列で表現しており、また表現の早さや大きさも振り付けとしてのスムーズさを重視しているように感じます。
まあ、ろうの人が見てもマジでビタイチ意味がわからないんじゃないでしょうか。日本語の得意な方が字幕つきで見れば分かるかもしれませんが、それはもう手話関係ないよね…。
例えば日本の歌に出てくる英語が、発音の悪さや文法ミスによって英語圏の人に伝わらなくても、それは別にいいと思うのよ。聞かれたらカッコ悪いとは思うけど。
でも手話っていうのは、聴者が抑圧してきた言語なのね。そこが本当に重要で、だから分化盗用とか搾取という指摘が出てくるし、英語を間違えちゃうのとは全然話が違うわけ。例えば単に「カッコいい」「面白い」で歌詞にアイヌ語を入れて、しかもそれが正確じゃないエセアイヌ語だったら大問題でしょ。手話歌の大半はそうなっているんだよ。
暇問題を報道特集とかで報道するべきみたいな投稿をどっかのSNSで見たけど、どこに行って誰に解説してもらえば良いんだ……。
有識者(俺とか)が「まず被害者の仁藤夢乃さんという方は女性の保護活動をしていまして、その為にネットユーザー達に攻撃されました」って解説したとしてお茶の間「なんで保護活動してるだけで攻撃されるの?」ってなるだろ。
安心して(締切間に合って)、寝坊しました。犬に鼻パンチで起こされた🐕💨
SFマガジンの「BLとSF特集」をぼーっと読んでいるところ。
わたしはBL文化をきちんと理解できてはおらず、ドラマ「チェリまほ」が好きなのも、脚本の吉田恵里香さんのファンだからかなと思うのですが。批評を通してならBLというジャンルに少し近づける気がしました。
瀬戸夏子さんの批評に、
「BLにおける『俺は男が好きなんじゃない。おまえという人間が好きなんだ』という台詞はホモフォビアだと批判され、激減した。『私は同性愛者として男性のあなたを愛している』と言うのが正しいと。
一方で、BLの書き手や読み手の心には、男性から『俺は女が好きなんじゃない。おまえという人間が好きなんだ』と言ってほしいという欲望があるのではないか。人間として敬意を持ってほしい。でもその望みは叶わないことが多かった。
そういう思いがあったことまでなかったことにしてしまうと、いつか大きな反動がくるのではないか」
とあり(わたしの主観の入った要約です…)で、「ほんとだ…」とあまりにも納得して、いま雑誌を一回おいて、休んでいるところ。衝撃波があった。
SFマガジンの特集、批評やインタビューから読んでるんですが、面白いです。女性がこのジャンルによって自分の性をどう表現してきたか。痛みを伴う思考実験の歴史。
先日、鈴木みのりさんに教えていただいて読んだこの本に載っていた、
「中国におけるBL(ボーイズラブ)マンガ
ーーマンガ表現論から読み解く日本アニメ・マンガの国際的流通」守 如子
でも、女性がBL(というイマジナリーな領域)で保護されつつ、自身のセクシュアリティと向き合ってきたことについて論じられていたのを思い出しました。(←これもわたしの主観による要約ですが…)
風が強いと思ったら、今日は飛行機が欠航したりしてました。うちのマンションの外廊下でも、生協の配達の箱やAmazonの置き配が吹っ飛ばされていた…📦💨
別垢にいます