このPodcast/YouTubeいいよ。日本にいる日本人からしたら(駐在や留学生や新移民からしても)アジア系アメリカ人の考えてることを肌感覚として理解できないのはある意味当然だと思うし、そのズレがアジアンヘイトとかエブエブへの反応の違いとして現れてるけど、そこのギャップが少し埋まるかもしれない。https://youtu.be/f6L9OrHecr4
むしろ、全ての時間が労働時間になってしまって、無給の労働時間を減らすための時短というかね…
QT: https://fedibird.com/@CrypticPasta/110326037585579550 [参照]
BT
本当にそうだと思う。
性同一性も性自認もどちらも同じ言葉の別訳語として使われてきたわけだし、従来は正直どちらも結局ジェンダーアイデンティティのことでしょと理解して使って来た人がかなり多かったはず。
あえて区別するなら性同一性の方が医療用語としての色合いが濃く、文化理論だの批評だのの分野では性自認の訳語が採用されることが多かった、と言うのはあるけれど。
それなのに、例えば「医療現場で使われる用語と法的文書での用語を統一すべきだ」と言った主張ではなく(それはそれで、そのような形で統一が図られることの政治的効果について批判はなされるだろうと思うけど)、ふたつの訳語がまったく別の意味内容を持つかのような強硬な主張がなされるのは、何故なのか。
そもそも元々同じ外国語の別訳語に過ぎず、ほぼ同じ意味内容を指すと理解されて来たふたつの語が、まったく別ものであるかのように扱う。そのような振る舞いが目指すしているのは、日本語圏においてジェンダーアイデンティティの概念それ自体を医療枠組みの中に押し込める、つまり医療枠組みを超えてジェンダーアイデンティティを論じる言葉を奪う事であるように思える。
インターネット空間で急速に広がる言葉の簒奪
※ツイッターの話を耳にするだけで気が滅入る人もいると思うので情報として入れたくない場合は読まないで
たまたま目にした「誰々はトランス◯◯だから△△自認なんだよな〜」というツイートに嫌な予感がして「トランス 自認」で検索してみると案の定、「なりたいものを自称する大喜利」に使われていた
ひとつふたつではなく、もはやミーム化しつつあると言っていいのでは…
トランスジェンダーのジェンダーアイデンティティをバカにする意図で差別者が使っていた「◯◯自認」(動物を当てはめる)に込められた悪意がSNSを利用する「一般人」にまで十分に浸透した惨状を見た気持ちになった(当然、この「一般人」はみな「カジュアルな差別者」だと思っている)
マジョリティがマイノリティから言葉を奪いおもちゃにする行為、私には殺人と同じにしか見えない
自民党内の議論をそのまま伝えちゃうメディアも罪深い。このまとめかたはやっちゃいけないでしょう...「また「性自認」については「性同一性」に改めた。保守派の一部には、性別の決定を自らの判断に委ねる傾向にある性自認という言葉への抵抗感が強いためで、自民保守派の西田昌司政調会長代理は「性同一性の障害で自傷行為をされたり命を落とされたりするケースが医師からも報告されている。こういう方々に対する何らかの手当ては必要だ」と説明した。」
https://mainichi.jp/articles/20230510/ddm/005/010/102000c
QT: https://fedibird.com/@spiralginga/110344497329235944 [参照]
「性自認」はダメだが「性同一性」は「医学的」なのでいいみたいな人を踏み躙りたいだけの意味不明な議論がどこかでされているのを薄目で見ると、そこには障害と医療をめぐるすごく大きな問題が潜んでる感じもする。あと性同一性という言葉も差別的な語としての意味を強く帯び始めていく感じもあってそれが辛い。トランスジェンダーに関する色々な言葉が奪われていっている。
うん