星野寄稿へのコメントプラス、今朝見ると執筆者がさらに増えていてまたびっくり。「カルト」規定に疑いがなかったり、「率直に意見を述べて議論をできない社会、それはたしかに民主主義の危機である」と〈民主主義は工場の門前で立ちすくむ〉状況どこ行った?的なものなどを見た。
「傲岸、卑屈、執念――これが階級社会を反映した組織の枠内に必ず起る精神の三位一体である」(埴谷雄高「政治のなかの死」1958年)と、スターリン批判のころからえぐり出されてきた半世紀以上の歴史があるわけで、それを「カルト」性と特徴づけるのはあまりにも平板であるのみならず、〈政治〉にまとわりつくその傾向の普遍性を突き出すよりも、単に外部化と排除しかもたらさない。それこそがまた、絶えず「敵」とのあいだに線を引き続ける、〈政治〉の再生産ではないのか。
鹿砦社は「人権と利権」に続き「LGBT問題」という本を出版した。
元々は社長の松岡氏がしばき隊と揉めたことに端を発する。
松岡氏は「全学闘」なる党派の活動家だった人物で鹿砦社も左派系の本を出していた。
それがカウンターの現場でしばき隊といざこざになって以来、しばき隊とつながりがあると一方的に断定した相手を敵認定してきた。
そしてしばき隊側の弁護士神原元が弁護についたという理由だけでcolabo を攻撃して暇空茜と絡んでいく。
またしばき隊と揉めているかという理由だけで森奈津子に接近した果ての産物が「人権と利権」というミソジニーとトランスヘイトにまみれた本であった。
「LGBT問題」の著者斉藤佳苗なる(自称)医師はエスケーという名前でトランスヘイトを常習とする暇アノンだということは分かったが、医師としての経歴などは不明。
見出しだけ見ると欧米のトランスヘイトをなぞっているだけ。
今更読む価値すらないが、なぜ鹿砦社がこうなったのかの一助として書いておく。
I am not fond of David Brooks, but I certainly understand why he finds the Cass Report so compelling.
For cisgender people who have no pre-existing knowledge, it's really a perfect document. It is completely decorous while implying that there are too many trans people and efforts should be made to limit their numbers.#trans #transgender #news #journalism #newyorktimes
https://www.assignedmedia.org/breaking-news/david-brooks-hilary-cass-empathy-transgender
BT わかる…。
会議でも、「自分の意見」がどう受け止められるかということ以上に、「発言した自分」がどう受け止められるかということの方を気にしてしまって、なかなか発言できなかった過去を苦々しく思い出す。そんなことを繰り返しているうちに、「自分の頭で考えて自分の意見を持つ」こと自体を怠けるようになりかねないのに。
「意見」そのものよりも「意見を言う『人』」に注目が集まりがちな本邦。「その意見なら○○さんの味方なのだな」とか「日頃おとなしいあの人が△△さんに対抗するなんて、このあと大変だよ」とか、いちいち「意見」を「人(人間関係も含めて)」と絡めて意識してしまうこの空気が、意見を表明することを「面倒なこと」にしてしまう。これが「それなら最初から原案に従っておけば面倒くさくなくて楽」という態度につながり、何も考えずに「賛成」する人を大量に生み出しているという面もあるのかもしれないな、と考えるなどした。過去の自分を反省しながら。
"You did a great job surviving today, and I'm so proud of you."
Original webcomic was by Hannah Hillam. I'm not sure who created this adaptation.
処理水で懸念しているのはよく言われる40年というタイムスケール。
汚染源の燃料デブリの取り出しは元々2014年には国内で開発する機器が動き始めるはずだったがうまくいかず、2020年にずれたがコロナ禍で機器が輸入できなくなったためにさらにまだ始まっていない。
プロセスも遅れも全て公開されているし、現場は真面目に真摯に作業を続けているんだろうけど、40年という当初の予定だけが変わっていない。
素直に100年とか200年越しの事業になることを表明した上で、それだけの期間、処理水を排出し続けることの了解を取り付けなければいけないんじゃないかな。
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/retrieval/index-j.html
6万文字の小説に500文字の剽窃があって納得できる説明ができなければ回収になるし、次の作品は書けなくなる。
その出力がどんな文章を元に補完されたのか知ることができれば避けるなり、参考文献にも入れることも検討できるんだけどね。
#gpt #chatgpt #geneativeai #生成AI
『性的人身取引ー現代奴隷制というビジネスの裏側』シドハス・カーラ
社会主義圏崩壊以降、加速する国際的「性奴隷」ビジネスを綿密な調査と資料精査によって明らかにした書物。
性奴隷の供給源の一つは、社会主義崩壊以降、福祉が崩壊した旧東欧圏。ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、チェコ、ウクライナ等から、「結婚詐欺」や文字通りの「誘拐」などによって大量の女性が西欧及び北米に拉致され、性奴隷ビジネスに従事させられています。
また、東南アジアではタイ、フィリピンなどの児童買春に「ペドフィリア」の多くの「北」側の男たちが訪れる。ただ、最近は観光に来た白人家庭の子供が誘拐され、性奴隷にされるケースもあるようです。またパキスタン、バングラデッシュからも「性奴隷」が国境を越えて「輸出」されている。
著者は、こうした調査を踏まえた上で、国境を超えた性奴隷制ネットワークが新自由主義グローバリズムによって急成長する分野になったことを指摘する。今や性奴隷ビジネスの「利益率」は麻薬ビジネスより大きい。
従って、著者はIMFが社会主義体制崩壊後の東欧の「社会保障」解体に果たした役割を強調し、自由主義グローバリズムの克服なくしては国際的「性奴隷制」の根絶はない、と主張します。
ご関心のある方は、ぜひご一瞥下さい
今日の東京新聞の女子大とトランスジェンダーの記事、相変わらず奥野さん(たち)の丁寧かつ熱量ある取材がベースになっていてよかったです。
他方で、これは当該記事に対する意見ではなく、より一般的なこととして、「○○女子大学が女性を自認する学生を受け入れ」というような表現は、もういい加減マスコミで使うべきでないと思います。理由はいくつもあります。例えば…
・理由1)「自認する性別」という概念は、トランスの人たちにしか適用されない謎概念である。
・理由2)「自認する性別」という言葉を使うことで、トランスの人たちの生活実態が適切に伝わることはおそらくなく、むしろ誤った印象を受け手に与えている。
・理由3)女子大サイドの決定は「入学条件から戸籍の表記が「女」でなければならないという条件を外す」という角度から理解されるべきもの。
・理由4)女子大を受験するトランスの学生から見えている風景としては「戸籍の表記を理由とした入学拒否を撤回」の方がはるかに実態に即しており、そうした排除が存在してきた来歴があり、今も社会のいたるところでその種の排除にトランスの人たちが苦しんでいるという事実を覆い隠してしまう。
Latest comic: Tech billionaires just want to save humanity!
うん