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精神を基礎とした論はすべて「精神論」になってしまうという難しさがある。

東京物語をクィアリーディングしてみたさがある

www3.nhk.or.jp/news/html/20230

国際法にも明らかに違反しているし、この案に賛成した国会議員には人の心がないのか…

misskey サーバー側の処理はけっこう改善されたかもだがクライアント側の処理が今度は追いついてない気が

Cryptic Pasta さんがブースト
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わかる
俺もうこのまま死んだことにして日本全国金なしで冒険したらどうなるんだろな〜とか思う

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全てがベストエフォートなNostrの方が長期的に安定しているという皮肉

インスタンスごとフォローするみたいな仕組みがあると面白いかも

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例えばこんななってる。(写真家の一人を当サーバーからリモートフォローしてるアカウントがあり、その写真家が他者の作品を積極的にブーストするので、連合でたくさん入って来て、うちのトレンドになる。)

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i like how "elaborate" is so heavily worked in with "hoax" in the English language that even the dictionary gives it as an example quote

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ぼくの見たことある「技術的には可能です」は、だいたい金と時間があっても可能ではないことが多いっすね。

3.11の当日くらいは反原発の話題をしないでほしい、原発事故を政治利用するな、とか言うことこそ死者への冒涜と思う

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少し時間が経ってしまったが、今年2023年の「イスラーム映画祭」で見ることができた映画について。

2月23日に、東京・渋谷のユーロスペースで、『太陽の男たち』と『ガザを飛ぶ豚』。2本とも満席だった。

『太陽の男たち』は、原作を読んでストーリーを知った上で見て、そりゃもうすごい映画だった。頭の中で往年の映画評論家・淀川長治さんが立て板に水で熱弁をふるい出すような古典的な映画で、つまり古いんだけども、古さを感じさせつつ、古びていない。

ただ「古い」といってもそこまで古くはない(「古い映画」といえば1930年代~40年代のものだと思っている方も多いだろうが)。1972年の作品で、制作はシリア、監督はエジプト人。シリアとエジプトといえば「アラブ連合共和国」(1958年成立、61年解体 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A )。同共和国の取り組みがうまくいかなかったのは両国が基本的に相容れなかったからと認識していたが、解体から約10年後に「パレスチナの大義」でこういう映画を作るために手を取り合う程度に関係が残されていたのだなあと思ったりも。

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こうなったら、選挙は。

かつての選挙は、闘う労組がバックにいる社会党と既得権を守りたい農村や特定郵便局をバックにする自民党の闘いだった。

それが、すっかり変わった。

大企業の利益を優先する御用組合がバックにいる民主党と、非正規雇用を推し進めたい経団連など大企業の経営側と新興宗教系(原理・創価)の力に頼る自民党。

主にこの二つになってしまった。

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そのままバブル時代にはいると、私たちはかつて市民が闘っていた時代があった、なんて記憶自体を完全に失ってしまった。
そして、自分を(「市民」ではなく)「消費者」として規定し、行動しはじめた。

まじめになにかに取り組むのは「かっこ悪い」時代になった。でも、何かに一生懸命取り組みたい、心がむなしい、という気持ちを持つ人はたくさんいた。(当たり前ですね)。そういう気持ちをもったひとたちに近づくのは、もはや、社会をよい方に変えていきたいといっしょに考えていく市民の仲間ではない。マルチ商法や宗教だった。

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ニューアカ、ポストモダン、「民俗学」、「人類学」、そして、「社会学」へ。もともとあった牙を抜かれ、まったく違う姿に変容した「何か」がたくさん登場した。だが、これこそ「古い」政治性抜きのホンモノの「学問」だと言われた。「中曽根平和研究所」や「サントリー財団」などと歩調を合わせるように、大学もSFCや情報学環を作ったり、タレント教授に講義をさせたり、「一芸入試」を導入したり、「新しい」学問の場になっていった。

大きな労組は解体されたり、骨抜きにされていった。ストライキを行える国鉄労組がなくなり、電電公社がNTTになる。

多くの組合員を抱えていた公的な団体がこうやって解体されたあと、大きな労組の構成員として残ったのは、東電など大企業の社員たちだった。そのひとたちは、自分が所属する大企業の利益にならないような要求なんか、するわけがない。

こうして、戦後レジーム第二期が終わった。

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中曽根は左派っぽくない文化人やマスコミをつくるために、大学という組織のそとに、「中曽根平和研究所」や「日文研」みたいな、右派論壇用の人材の保護・育成をすすめた。
「サントリー財団」「トヨタ財団」みたいに、企業メセナという形で側面から応援する企業もあった。

”挫折”して文化業界入りした元学生運動家たちは、「運動なんてダサい」「文化も学問もおしゃれじゃないとダメ」というメッセージを大量にばらまいた。

友だちや家族と政治や社会について語る。本を読んで、みんなで議論する。デモや署名活動をする。そういう、今までの市民の知的営為はすべて、否定された。毎日続くおしゃれな「祭り」のなかで何かを「消費」すること、そうした「消費を賞賛する知」だけがひたすら賞賛された。

大学は「何年も同じ講義ノートを使い続ける老教授」たちが「権力闘争を繰り広げる」だけの「古い」場所とされた。
(実のところ、そんな大学は、ろくに講義に行かなかった全共闘おじさんの頭のなかと、筒井康隆の小説の中にしか存在しなかった)。

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BT

>中曽根の所謂「戦後政治の総決算」とは、このことを意味します。

>中曽根自身、改憲のためには社会党の解体が必要であり、そのために総評の解体、さらにそのためには国労の解体が必須、国鉄民営化はそのための大義名分であったことを公に明言しているのです。

60年安保のときの国会議事堂が反対するたくさんのひとたちに囲まれた映像を見るたびに、不思議だった。こんなに多くのひとが埋め尽くすように反対していたのに、なんで今こうなってるのだろう?この人たちはどこにいったのだろう?と。

だけど、戦後レジームの第二期っていうとらえ方を知って、わかった。

60年安保とかの頃は、闘う「労組」や左派政党、市民を理論的に支える丸山眞男・加藤周一らの「知識人」たちがいた。そして第二次大戦を肌身で知っていた「マスコミ」や「文化産業」は、市民の闘いを支持し、権力を批判した。この戦後レジーム第二期を、中曽根はどうしても終わらせたかった。

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