中曽根は左派っぽくない文化人やマスコミをつくるために、大学という組織のそとに、「中曽根平和研究所」や「日文研」みたいな、右派論壇用の人材の保護・育成をすすめた。
「サントリー財団」「トヨタ財団」みたいに、企業メセナという形で側面から応援する企業もあった。
”挫折”して文化業界入りした元学生運動家たちは、「運動なんてダサい」「文化も学問もおしゃれじゃないとダメ」というメッセージを大量にばらまいた。
友だちや家族と政治や社会について語る。本を読んで、みんなで議論する。デモや署名活動をする。そういう、今までの市民の知的営為はすべて、否定された。毎日続くおしゃれな「祭り」のなかで何かを「消費」すること、そうした「消費を賞賛する知」だけがひたすら賞賛された。
大学は「何年も同じ講義ノートを使い続ける老教授」たちが「権力闘争を繰り広げる」だけの「古い」場所とされた。
(実のところ、そんな大学は、ろくに講義に行かなかった全共闘おじさんの頭のなかと、筒井康隆の小説の中にしか存在しなかった)。
ニューアカ、ポストモダン、「民俗学」、「人類学」、そして、「社会学」へ。もともとあった牙を抜かれ、まったく違う姿に変容した「何か」がたくさん登場した。だが、これこそ「古い」政治性抜きのホンモノの「学問」だと言われた。「中曽根平和研究所」や「サントリー財団」などと歩調を合わせるように、大学もSFCや情報学環を作ったり、タレント教授に講義をさせたり、「一芸入試」を導入したり、「新しい」学問の場になっていった。
大きな労組は解体されたり、骨抜きにされていった。ストライキを行える国鉄労組がなくなり、電電公社がNTTになる。
多くの組合員を抱えていた公的な団体がこうやって解体されたあと、大きな労組の構成員として残ったのは、東電など大企業の社員たちだった。そのひとたちは、自分が所属する大企業の利益にならないような要求なんか、するわけがない。
こうして、戦後レジーム第二期が終わった。