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>中曽根の所謂「戦後政治の総決算」とは、このことを意味します。
>中曽根自身、改憲のためには社会党の解体が必要であり、そのために総評の解体、さらにそのためには国労の解体が必須、国鉄民営化はそのための大義名分であったことを公に明言しているのです。
60年安保のときの国会議事堂が反対するたくさんのひとたちに囲まれた映像を見るたびに、不思議だった。こんなに多くのひとが埋め尽くすように反対していたのに、なんで今こうなってるのだろう?この人たちはどこにいったのだろう?と。
だけど、戦後レジームの第二期っていうとらえ方を知って、わかった。
60年安保とかの頃は、闘う「労組」や左派政党、市民を理論的に支える丸山眞男・加藤周一らの「知識人」たちがいた。そして第二次大戦を肌身で知っていた「マスコミ」や「文化産業」は、市民の闘いを支持し、権力を批判した。この戦後レジーム第二期を、中曽根はどうしても終わらせたかった。
ニューアカ、ポストモダン、「民俗学」、「人類学」、そして、「社会学」へ。もともとあった牙を抜かれ、まったく違う姿に変容した「何か」がたくさん登場した。だが、これこそ「古い」政治性抜きのホンモノの「学問」だと言われた。「中曽根平和研究所」や「サントリー財団」などと歩調を合わせるように、大学もSFCや情報学環を作ったり、タレント教授に講義をさせたり、「一芸入試」を導入したり、「新しい」学問の場になっていった。
大きな労組は解体されたり、骨抜きにされていった。ストライキを行える国鉄労組がなくなり、電電公社がNTTになる。
多くの組合員を抱えていた公的な団体がこうやって解体されたあと、大きな労組の構成員として残ったのは、東電など大企業の社員たちだった。そのひとたちは、自分が所属する大企業の利益にならないような要求なんか、するわけがない。
こうして、戦後レジーム第二期が終わった。
そのままバブル時代にはいると、私たちはかつて市民が闘っていた時代があった、なんて記憶自体を完全に失ってしまった。
そして、自分を(「市民」ではなく)「消費者」として規定し、行動しはじめた。
まじめになにかに取り組むのは「かっこ悪い」時代になった。でも、何かに一生懸命取り組みたい、心がむなしい、という気持ちを持つ人はたくさんいた。(当たり前ですね)。そういう気持ちをもったひとたちに近づくのは、もはや、社会をよい方に変えていきたいといっしょに考えていく市民の仲間ではない。マルチ商法や宗教だった。