https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230428/amp/k10014052481000.html
国際法にも明らかに違反しているし、この案に賛成した国会議員には人の心がないのか…
It's a day of protest across the #uk against the #illegalmigrationbill - rallies in #london #glasgow #cardiff #stroud - #Irish president #michaeldhiggins speaks on #stpatricksday about #migration - see detail here: 👉 https://www.climateblog.uk/index.html#MigrationProtestsSaturdayMarch18
ぼくの見たことある「技術的には可能です」は、だいたい金と時間があっても可能ではないことが多いっすね。
少し時間が経ってしまったが、今年2023年の「イスラーム映画祭」で見ることができた映画について。
2月23日に、東京・渋谷のユーロスペースで、『太陽の男たち』と『ガザを飛ぶ豚』。2本とも満席だった。
『太陽の男たち』は、原作を読んでストーリーを知った上で見て、そりゃもうすごい映画だった。頭の中で往年の映画評論家・淀川長治さんが立て板に水で熱弁をふるい出すような古典的な映画で、つまり古いんだけども、古さを感じさせつつ、古びていない。
ただ「古い」といってもそこまで古くはない(「古い映画」といえば1930年代~40年代のものだと思っている方も多いだろうが)。1972年の作品で、制作はシリア、監督はエジプト人。シリアとエジプトといえば「アラブ連合共和国」(1958年成立、61年解体 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E9%80%A3%E5%90%88%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD )。同共和国の取り組みがうまくいかなかったのは両国が基本的に相容れなかったからと認識していたが、解体から約10年後に「パレスチナの大義」でこういう映画を作るために手を取り合う程度に関係が残されていたのだなあと思ったりも。
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ニューアカ、ポストモダン、「民俗学」、「人類学」、そして、「社会学」へ。もともとあった牙を抜かれ、まったく違う姿に変容した「何か」がたくさん登場した。だが、これこそ「古い」政治性抜きのホンモノの「学問」だと言われた。「中曽根平和研究所」や「サントリー財団」などと歩調を合わせるように、大学もSFCや情報学環を作ったり、タレント教授に講義をさせたり、「一芸入試」を導入したり、「新しい」学問の場になっていった。
大きな労組は解体されたり、骨抜きにされていった。ストライキを行える国鉄労組がなくなり、電電公社がNTTになる。
多くの組合員を抱えていた公的な団体がこうやって解体されたあと、大きな労組の構成員として残ったのは、東電など大企業の社員たちだった。そのひとたちは、自分が所属する大企業の利益にならないような要求なんか、するわけがない。
こうして、戦後レジーム第二期が終わった。
中曽根は左派っぽくない文化人やマスコミをつくるために、大学という組織のそとに、「中曽根平和研究所」や「日文研」みたいな、右派論壇用の人材の保護・育成をすすめた。
「サントリー財団」「トヨタ財団」みたいに、企業メセナという形で側面から応援する企業もあった。
”挫折”して文化業界入りした元学生運動家たちは、「運動なんてダサい」「文化も学問もおしゃれじゃないとダメ」というメッセージを大量にばらまいた。
友だちや家族と政治や社会について語る。本を読んで、みんなで議論する。デモや署名活動をする。そういう、今までの市民の知的営為はすべて、否定された。毎日続くおしゃれな「祭り」のなかで何かを「消費」すること、そうした「消費を賞賛する知」だけがひたすら賞賛された。
大学は「何年も同じ講義ノートを使い続ける老教授」たちが「権力闘争を繰り広げる」だけの「古い」場所とされた。
(実のところ、そんな大学は、ろくに講義に行かなかった全共闘おじさんの頭のなかと、筒井康隆の小説の中にしか存在しなかった)。
BT
>中曽根の所謂「戦後政治の総決算」とは、このことを意味します。
>中曽根自身、改憲のためには社会党の解体が必要であり、そのために総評の解体、さらにそのためには国労の解体が必須、国鉄民営化はそのための大義名分であったことを公に明言しているのです。
60年安保のときの国会議事堂が反対するたくさんのひとたちに囲まれた映像を見るたびに、不思議だった。こんなに多くのひとが埋め尽くすように反対していたのに、なんで今こうなってるのだろう?この人たちはどこにいったのだろう?と。
だけど、戦後レジームの第二期っていうとらえ方を知って、わかった。
60年安保とかの頃は、闘う「労組」や左派政党、市民を理論的に支える丸山眞男・加藤周一らの「知識人」たちがいた。そして第二次大戦を肌身で知っていた「マスコミ」や「文化産業」は、市民の闘いを支持し、権力を批判した。この戦後レジーム第二期を、中曽根はどうしても終わらせたかった。
うん