一度罪を犯した者は絶対に社会的復帰を許さないという他罰意識をハーパシー、すなわち女性を絶対的被害者の地位に置くミソジニーによって正当化する。ミソジニストどもは内柴への筋違いな批判に対する指摘をすべてミソジニーないしヒムパシーとして説明するだろうが、これは両者の原義からして当てはまらない。今回の内柴のツイートはそもそもオリンピック観戦の感想であって自身の過去に関する事項はまったく関わりがない。ヒムパシーはレイプ犯に対する過剰なまでの同情を指すが、今回の攻撃は彼の過去を執拗に掘り返すという意味でむしろ過剰なのは筋違いな批判の方であり、そもそも、内柴は2017年に5年の刑期を終えている。
ミソジニストどもの目的は囲い込みである。そのために犯罪者に対する社会的嫌悪感情を動員し、フェミニズムに由来するもっともらしい理屈を並べ立てているだけである。わたしは「これはフェミニズムではない」と言うつもりはまったくないが、少なくとも、フェミニズムに由来する概念を動員することがあらゆる主張を正当化する根拠になるわけではない、とだけは言わなければならない。
内柴正人に対する批判的反応はまさに「要請なき代理」の振る舞いといえるでしょう
こういうような言説が宗教的なものの排除を正当化してしまう。重層的に考えないと
https://x.com/kawananikasann/status/1818451634592104605?s=46
お、トランス差別主義者の小澤浩明さんじゃーん
https://info1103.stores.jp/items/66a1cac4ff0504003fe0310f
ネトウヨミュージシャン
検索したらトランスジェンダーへの差別を煽る投稿を繰り返していた
https://x.com/livehouse_uhu/status/1817757246975349151?s=46
「市井の一般女性」の投稿
これもまたハーパシー
反トランスの連中は階級だ階級だというくせにいざとなると上流階級への同情を示す
https://x.com/benineko0211/status/1817363266630558012?s=46
「差別だ」という糾弾が糾弾者と被糾弾者の双方に動揺を走らせるのは、糾弾された側が「いい人」でいられなくなるからなのよな
坂本龍一がradioactivityの日本語詞を書いたのってもう10年以上前なんですが...
『人種差別の習慣』が翻訳される前の書評。ンゴの議論についてなんとなく違和感があったが、田村さんも同じ論点をちゃんと指摘している
https://researchmap.jp/t_interrogatif/published_papers/35798181/attachment_file.pdf
しんどさは平等であるべき