差別には悪意の有無は関係ないはずだが、差別への加担を糾弾することに「お前は悪意を持ったとんでもない奴だ」という意味が付与されるために混乱が起こる。だからこそ被糾弾者は悪意の存在(=差別の意図)の否定から入ってしまうのであり、糾弾者側も過度に反省を促すためにヒートアップしてしまうのである。明確に対決の姿勢をとる必要がないのであれば、両者の不毛な応酬を防ぐには、糾弾する側が適切な方法で差別への加担を指摘する以外にない。糾弾する側にとっては不本意かつ不当であることはもちろんだが、しかし適切な方法をとらない限り不幸な結末を招いてしまう。要は指摘する側の「質」が大事だということ。