4月10日の日米首脳会談で、日米統合本部を創設(「シームレスな統合」)が合意されたこと、その危険性については、すでに投稿しました。
オースティン米国防長官は、その折り予測したように、統合司令部創設を2025年3月とし、指揮官を「大将」とすることを3日シンガポールで発表。
大将は将官クラスで最高位。朝鮮戦争でマッカーサーの後任の国連軍司令官のリッジウェイでさえ、中将でした。
これは現在ハワイにあるインド太平洋軍司令部を機能を日本に移転する準備とも見られます。また「公式に」日本の自衛隊は米軍の直接の指揮下に置かれることになる。勿論増員される要員の費用は日本持ち。
またオースティン国防長官は日本への中距離ミサイルの配備にも言及。これは勿論中国への威嚇。
同時に米国は中国との直接軍事対決を避けるために、高官レベルの様々な交渉ルートを構築。
万が一の場合でも、日本は局地戦の領域として「見捨てる」ことは間違いない。米国民の意識としても「よく知らない」日本のために中国との戦略核戦争を受け入れることはあり得ない。
こうなると経済安保法案が共産・令和を除いた全政党及びマスコミの合意であったことも得心も行く。
しかし政党とマスコミは市民の「安全保障」を真剣に考えるべきではないか?
メキシコ大統領選で左派のシェインバウム氏が右派を圧倒的な大差を破って当選。同時に行われた首都メキシコシティ、上下院でも左派勝利。
亡命ユダヤ人の孫で元科学者のシェインバウム氏はメキシコ発の女性大統領となる。
シェンバウム氏は、「医療・教育・住宅・文化」という社会主義的理念に加えて、ジェンダー平等や多様性の尊重を公約。
しかしNYTは長い速報で、早速シェインバウム氏について、「部下に嫌われるボス」、「オプラドールの信者」、「オプラドールのごますり」などと大半をどうとでも言える「人格攻撃」に費やし、公約に関しては「できもしないバラマキ」要するに「ポピュリズム」と決めつけている。
それにしても米国のメキシコに対する「見下し」は根が深い。そもそもカリフォルニア、アリゾナ、ネバダ、テキサス、ニューメキシコなどは元来メキシコ領だったのをUSAが強奪したもの。保守派の独裁者ディアスさえ、「メキシコの悲惨、それは神から最も遠く、米国に最も近いこと」の名言を残した。
その上、FTAで地場産業は壊滅、低賃金の移民によって米国を支える構造になっている。
これをトランプに乗っかって「迷惑」な移民と決めつけているのが野沢直子、「ひろゆき」並みの冷笑仕草で援護射撃しているのが朝日編集委員である。
先のメキシコ新大統領シェインバウム氏を「貶める」NYTの記事、かなり長いものだが、結果判明とほぼ同時に出されている。まあ、これは前もって用意されていたものだろう。しかも、この記者がヒスパニック系の女性、というのもいかにもNYTらしい(最近は日本でもこの手法が多用されているが)。
とにかく、「リベラル」な英米メディアは、NYTにしろ、ガーディアンにしろ、新自由主義を批判するラテンアメリカ政権に対しては必ず「ポピュリズム」とレッテリを貼る。先住民出身のボリビア大統領のモラレスの長年の白人人種主義を改革する方針まで「ポリュリズム」と罵倒する始末である。要するにUSAのハリウッド型「多様性 diversity」などこの程度のもの。
ル・モンドも21世紀に入るから、国際情勢報道に関しては英米型に変化した。現在のイスラエルのガザにおける大虐殺の報道に関しても、これは如実に表れている。
ただ、仏語ではメディア・パート、ルモンド・ディプロマティクは、この傾向とは明瞭に一線を画している。
いずれにせよ国際情勢を語るには英語だけではなく、仏語、西語を学ぶことが必須。ところが多くの国際政治学者は英語しか読まない。
昨今の英会話重視の日本の教育はこの傾向にさらに拍車をかけることになるだろう。
Twitterで、僕の教え子(学部生)が「川瀬先生、思想が強くない?」と呟いていて、まあまあファボられているのを発見。ファボったのはおそらく彼の同期生とかだろう(鍵付きのアカウントが多くて、推測だが)。
確かに僕は政治的なイシューも多く呟くから、そう思われても仕方ないとは思うが、僕がどんな話題を出した時に彼がそう思ったのか、が結構問題。現政権批判、反維新、反原発、反差別など、「反抗的」であるのを大雑把に「思想が強い」とまとめる感性には「年長者」として「じゃあ、君はどう思うの?(思想はあるの?)」と問い掛けねばならないだろう。まあ、まだ直接は言わない。しつこく「思想の強い」態度や姿勢を見せて、少しは己のことを考え直してくれれば、それで十分だと思っている。