さて、WWII以後はナチスの
優生学的政策の凄まじさに驚いた英米の学界でも「優生学」的言説は表向き「禁忌」となります。
しかし分子生物学の創始者の一人、J.ワトソンが、最後まで「黒人と女性は白人男性に遺伝的に劣る」という発言を繰り返したように、「遺伝学」的言説とそれを基礎づける分子生物学的言説界では、「遺伝決定論」と「自然淘汰」を「弱肉強食」とするフレームが次第に前景化しているようです。
S.J.グールドなどは、そうした傾向に警鐘を鳴らしてきた代表的な科学者・科学ジャーナリズムだと言えます。
しかし『利己的な遺伝子』のR.ドーキンス、『社会生物学』のウィルソン、そして日本でも翻訳のあるS.ピンガーなどの新自由主義経済学と相互に「転移」し合った言説が米国では、主流になりつつあります(フーコー派は今こそ『言葉と物』の分析を援用するチャンスでは)。
オランダから米国に渡った動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールなどは、この点では完全にグールドの側にいます。
さらに米国ではヒッピーから加速主義者へ、とある意味典型的な軌跡を描いたK.ケリー(wired創刊編集長)などの「テクノロジー」教徒などが加わり、事態はさらに「加速」。
ケリーとシリコン・バレー「加速主義者」の批判はいずれまた。
「テクノロジー教徒」「加速主義者」——私もその一派でした。
私の本業は最新の情報テクノロジーを調べて伝えることでした。ただ、テクノロジーの無邪気な称揚や、「加速主義」一点張りは、ちょと違うかな、というのが今の思いです。
シンギュラリティ論者という連中がいます。AIが進化して、AIをAIが改良して発達するようになると、世界が変わる、現代社会の諸問題など小さな事になる——だからテクノロジーに全振りしようよ、という考え方です。OpenAIのサム・アルトマンもこの立場に近い。
さらに過激な連中は、進化した超AIに自分の魂を「アップロード」して永遠の生命を得ることができる、的な話を本気で信じている節があります。(宗教やSFではなく、今のテクノロジーの延長でできる、という主張です)
ビットコインや暗号通貨の分野も似たところがあって、「自分が支持するテクノロジーさえ普及すれば、後は知らん」といった奢りを感じる場合がある。
しかし、テクノロジーで社会が変わるとして、取り残された人々はどうなるのか。その視点は見過ごされがちです。
テクノロジーに全振りすると、うっかり倫理を逸脱してしまう場合がある。その危ない領域をどう言語化するか。かなり悩みながら取り組んでいます。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/110854916260856167 [参照]