「言語の進化論は、生物学における洗練されたダーウィンの進化論よりも前からあった。その進化論は妥当なものではあったが、たちまちそれが、生物進化論が適用できなかったところで勢力を振いはじめた。それによれば、各言語は独立した準生物学的存在であって、その進化は全く内部的な力と要求とによって起こされるものであるとされた。実は、言語は人々の交わりの付随現象であって、その交わりのパターンの変化による社会的な力のすべてに左右されるのである。」
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「私は、言語は人間のみがもつ特質ではなくて、人間が創り出した機械もまた或る程度までもつことができるものであることを示したい。私はさらに、人間が言語を占有しているのは、人間の体内に作りつけられた一つの可能性によるのであって、この可能性は人間の最も近い親類である類人猿の体内には作りつけられていないものであることを示したい。ただし、人間におけるこの可能性は学習によって有効化されなければならないものとしてのみ人間に賦与されているものであることを示そう。
ふつう、通信や言語というものは、人から人に向けられるものだと考えられている。しかし、人間が機械に話したり、機械が人間に話したり、機械が機械に話すことも全く可能である」77頁
「人間の通信を他の大部分の動物の通信と区別する特徴は、(a) 使われる符号体系の精巧さと複雑さ、(b) この符号体系の高度の任意性である。多くの動物は自分たちの情緒を相互に信号で伝えることができ、そのさいのそれらの情緒は敵の存在とか、同じ種の異性の個体の存在とか、こういう種類のきわめてさまざまな詳しい情報を表示する。これらの通報の大部分はその時かぎりのもので貯蔵されない。そのかなりの部分は人間の言語に翻訳すれば間投詞や感嘆詞になるものだろう。ただし、一部は名詞と形容詞のような形の語として大まかに表現できるかもしれないが、それらの語を当の動物は人間の言語の場合のような文法的な形の区別なしに使うのである。一般に、動物の言語は第1には情緒を、第2に事物を伝え、事物の間のもっと複雑な関係は全く伝えないように思われる。
伝えられるものの特性がこのように限られているほかに、動物の言語は種によってごく一般的な仕方で固定されており、歴史的に変化しない」75-6頁
「物理学では、進歩という観念は、エントロピーというものと、絶対的に矛盾はしないが、対立する概念である。…
…熱力学の第2法則を悲観的に解釈するか否かという問題は、一方ではわれわれが全体としての宇宙をどのていど重視するか、他方ではその中にある局所的にエントロピーの減小[ママ]する島々をどのていど重視するかによる。われわれ自身がそのようなエントロピーの減少する島の一つであり、また他のそのような島々の間に住んでいることを想起しよう。そうすれば、近いものと遠く距たったものを見るとき当然違いがあるように、普通は、全体としての宇宙よりはエントロピーが減少し秩序が増大していく領域にずっと大きな重点をおくことになる。例えば、生命は宇宙の中で稀な現象であることは間違いなかろう」36-8頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/