「要するに私たちの見解は『ホメオスタシス原理を越えて』とでも定義できよう。 (1) S-R図式は遊びとか探検活動とか創造性、自己認識、等々の領域を見のがす。 (2) 経済的な図式はまさに人間特有の達成——漠然と『人間的文化』といわれるものの大部分——を見のがす。 (3) 平衡原理は、心理的および行動的な活動は緊張の緩和以上のものであるという事実を見のがす。緊張の緩和は最適状態どころか、たとえば知覚をうばう実験の場合などは精神病に近い攪乱を招くこともあるのだ。 S-R モデルや精神分析モデルは人間の本性の実際と非常にかけ離れた像であり、したがって、かなり危険なもののように思われる。私たちが人類特有の達成と考えるまさしくそのようなものは、功用主義[ママ]、ホメオスタシス、また刺激ー反応の図式のもとには、ほとんどもちきたすことができないものなのだ。…もしホメオスタシス的維持の原理が行動の黄金律だとしたら、最終的な目標はいわゆるうまく順応した個人、つまり最適な生物学的、心理学的、社会学的ホメオスタシスに自らを維持するよく油のきいたロボットということになろう」106頁
「科学を拡張して、物理学の中では置きざりにされ、生物、行動ならびに社会科学的現象の特徴的な性質には関係しているような側面を扱うことが必要とされていると思われる。これが、導入されるべき<新しい概念モデル>にほかならない。
…これらの拡張され一般化された理論的な構造あるいはモデルは、学際的なものである——すなわち科学の在来の区分を越えたものであり、いろいろちがう分野の現象に応用できるものである。その結果、いろいろの分野に現われるモデルと一般原理と、特殊法則さえにも同形性が見られることになる。
要約すると、生物、行動および社会の諸科学と現代工学との内容は、科学における基本概念の一般化を必須のものとしている。これは伝統的物理学でのカテゴリーと対比しての新しい科学思想のカテゴリーを意味している。またそのような目的で導入されたモデルは、学際的な性質を帯びている。
…『全体性』と『オーガニゼーション』の一個の理論へと向かう現在のさまざまなアプローチは統合され統一されることになるかもしれない。じっさい、たとえば不可逆熱力学と情報理論のあいだでのいっそうの総合化というようなことは、ゆっくりと発展しはじめているのだ」92-3頁
「生物を観察すれば、驚くべき秩序、オーガニゼーション、連続変化の中での維持、調節、また見かけ上の合目的性が認められる。同様に人間の行動の中にも目標指向性と合目的性を見すごすことはできないのであって、たとえ厳格に行動主義的な立場を受容するにしてもそういえるのだ。けれどもオーガニゼーションとか目標指向性とか合目的性とかの概念はまさしく古典科学の体系には現われないものなのだ。実際問題として、古典物理学に基礎をおいたいわゆる機械論的世界観の中では、それらは架空のものか形而上学的なものと考えられた。このことは、たとえば生物学者にとっては、生きた自然のまさに特徴をなす諸問題が科学の正当な分野を越えたところにあるように思われることを意味する。多変量間の相互作用、オーガニゼーション、自己維持、目標指向性等々の側面を表現できるモデル——概念的な、またある場合には物質的でさえあるモデル——の出現は、科学的思考と研究の中へ<新しいカテゴリーを導入すること>を暗に意味する。… …現代物理学と生物学では、<オーガナイズされた複雑性の問題>、すなわち多数ではあるが無限数ではない変数間の相互作用がいたるところに顔をだし、新しい概念道具を要求している」91-2頁
「40年ほど前、私が科学者としての生活を始めたとき、生物学は機械論ー生気論論争のさなかにあった。…こういう状況の中で、私その他の人々はいわゆる有機体論の見方に導かれていった。一個の短い文章でいうならば、それは生物体はオーガナイズされたものであって、私たちは生物学者として、それがどんなことであるのか発見しなければならない、ということである。…この方向の一ステップがいわゆる開放システムと定常状態の理論で、これは本質的には在来の物理化学、反応速度論および熱力学の拡張である。けれども一度とった道を途中で止まることはできないように思われたので、私はさらに広い一般化まで導かれることになり、これを私は『一般システム理論』と呼んだ。この考えはかなり以前にさかのぼる。それを最初に提出したのは1937年、シカゴ大学で行なわれたチャールズ・モリスの哲学セミナーにおいてである。けれどもその当時、理論なるものの評判は生物学では悪かった。…それで私は草稿を引出しにしまいこみ、この問題に関する私の最初の出版はようやく戦後のことであった」88-9頁
「物理学的現象を実在の唯一の標準と考える態度は、人間を機械化し、高次の諸価値を正当に評価しない結果を導いた。…機械論的見解を投げすてた後には、私たちは『生物学主義』にすべりこまないように、つまり心的、社会的、文化的現象をただ生物学的立場からのみ考えることのないように用心しなければならない。…有機体論の考え方は、生物学〔主義〕的考えの一方的な優位を意味するものではない。異なるいろいろのレベルに一般的な構造の同形性があると強調するとき、それは同時に、レベルごとに自律があり特異的な法則をもつことをも主張しているのだ。
私たちは、一般システム理論の将来の展開が科学の一体化をめざす大きなステップとなると信じている。それは将来の科学において、アリストテレスの論理学が古代の科学で果たしたのと似た役割を果たすことになることもあろう。…現代の科学では、動的な交互作用が実在のあらゆる分野で中心課題になっているようにみえる。その一般原理は、システム理論によって定義されるべきはずのものである」82頁
「私たちは、実在のいろいろに異なったレベルあるいは層に対して科学法則をうちたてることは、たしかにできる。そうしてここに私たちは、『形式的様態』(Carnap)でいうならば、科学の統一性ということがあるとしたときの、異なった分野における法則と概念図式との対応もしくは同形性を見るのである。『実体的な』」言語でいえば、これは世界(すなわち、観察することができる現象の総体)が構造の一様性を示していて、いろいろに異なるレベルや領域において秩序の同形的な痕跡によって自らを顕現している、ということを意味する。
実在は、近来のとらえ方では、オーガナイズされた実体の巨大な階層的秩序とみられるのであって、その結果、物理学的および化学的システムから生物学的および社会学的システムにわたる複数のレベルが重なりあうことになる。『科学の統一性』が当然とされるのは、あらゆる科学が物理学および化学へとユートピア的に還元されることによるのではなく、実在の異なったレベルが構造の一様性をもつことによるのである」81頁
「純粋に形式的な『システム』の定義から、いろいろな科学分野でよく知られた法則に一部分表現されていたり、また一部分はこれまで擬人的だとか生気論的だとかされてきた概念に関する多くの性質が導きだされてくる。したがって、いろいろな分野での一般的概念の並行性やさらに特殊法則の並行性さえも、これらが『システム』に関連しているということと、ある種の一般原理はどんな性質のシステムにもその本性の如何にかかわらず適用できるということからくる当然の結果であることになる。かくして全体性と総和、機械化、階層的秩序、定常状態への接近、等結果性などの原理がまったく異なった分野に現われる場合がある。異なった領域に見いだされる同形性は、一般的なシステムの諸原理の存在、多少とも十分に発達した『一般システム理論』の存在にもとづくものである」77-8頁
「生物的構造の適応…はおそらくランダムな突然変異と自然淘汰の因果的働きによって説明できよう。けれども、この説明はあのきわめて複雑な生物的機構とフィードバック・システム…の起源に関してはよほど疑わしい。生気論は要するに、生物の目標指向性…を到達点の予見の知恵…によって説明しようとの試みである。これは、方法論として自然科学の枠を越えたところにでてしまい、経験的にも正当化できないものだ。…等結果性やアナモルフォジスのように『生気論の証拠』とされた現象の重要な部分は、開放システムとしての生物体の特徴的な状態からくる当然の結果であって、したがって科学的な解釈と理論で扱えるはずのものである」73-4頁
「前進的機械化と前進的集中化の原理を無視することからしばしばにせの問題がたてられてきた。それは、独立で総和的な要素という極限の場合か、さもなければ等価な要素の完全な相互作用しか認めず、生物学的に重要な中間の状態を無視してしまうからである。このことは『遺伝子』と『神経中枢』の問題と関連して重要である。古典遺伝学は(近代遺伝学はいざしらず)遺伝物質を個々の形質や器官を決定する微粒子単位の総和と考える傾向があった。巨大分子の総和では生物体の有機化された全体性を作りだせないという反対は当然である。正しい答は全体してのゲノムが全体としての生物体を作りだし、しかもなお一定の遺伝子が一定の形質の発達の方向を決定すること——いいかえれば『主導部分』として働くことである。このことは、どの一個の遺伝形質も多くの遺伝子、おそらくすべての遺伝子の協同の働きで決まる、そうしてどの一個の遺伝子も単一の形質ではなく多くの形質、おそらく生物体全体に影響を与えるという洞察の中に表現される(形質の多遺伝子性(polygeny)および遺伝子の多表現性(polypheny))」68頁
「このようにして、前進的機械化と同様に前進的集中化の原理が生物学の中に見いだされ、これを象徴するのは、主導部分が時間とともに形成されてゆくこと…である。この見方は、重要だが簡単には定義できない個体の概念に光を当てる。『個体(individual)』とは『分けられぬもの』の意味である。…進化の尺度を登っていくと集中化の増大が見られる。行動は同等な位階(ランク)にある部分的機構が合成されたものではなくなり、神経系の最高中心中枢によって統一支配される…
こうしてみると厳密にいえば生物学的個体性などというものはなくて、ただ進化と発生における前進的個体化のみがあり、これは前進的集中化、すなわち一定の部分が主導的な役割を得て全体のふるまいを決定するということからくるものなのだ。かくして前進的集中化の原理は<前進的個体化>をも含んでいる。個体とは一つの集中システムとして定義されるべきものであり、これは実は発生と進化の中で生物体が次第に統一的な『不可分』なも[ママ]になっていく道程の一つの極限である。…同じことは社会学の領域にもあてはまる。ただの群衆の集まりには『個体性』がない。一つの社会構造が他と区別されるためには、一定の個体のまわりでのグループ形成が必要である」66-7頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はストーン『家族・性・結婚の社会史』1977年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/