「『近代家族』という概念は、1970年代に隆盛を誇った欧米圏の家族史研究とフェミニズム理論において使われるようになった概念である。…
しかし、現在の時点からあらためて振り返ってみると、相対化されるべき家族についての理論化は、むしろ日本においてのほうが進んだように思われる。…欧米圏のアカデミズムでは、『近代家族』という直接的な表現を目にすることは稀になった。
その理由はなぜかと考えると、まず家族の社会史の領域では、アリエスの流れを汲む心性史に代わって、洗練された科学的な手法を用いる歴史人口学が主流となった。近代への移行という大きな絵を描くより、前近代社会のメカニズムの解明が中心的な関心となった。…プライバシーや親密性への注目は、アンソニー・ギデンズの『親密性の変容』…につながったが、そこではすでに近代家族が主流でなくなった社会を生きるヨーロッパ人の現実をとらえることに関心が向かった。このように欧米圏の研究において『近代家族』という概念化が後景に退いた理由は、学説史的偶然と社会的現実の変化との両方であったと言えるだろう」46-7頁
(承前)「『近代家族』について整理したとき、中産階級にのみ成立した『19世紀近代家族』と、庶民も含めて誰もがそのような家族に暮らせるようになった『20世紀近代家族』とを区別したが…『短い20世紀』とはこの後者の時代である。大多数の人々が『近代家族』に属していることを前提とした社会制度が構築された。
近代社会が、国家、経済、家族を主要なセクターとして構成されることは、その構造が生まれつつあった時代にヘーゲルが見通したとおりだが、『20世紀体制』にはそれぞれのセクターが特定の性質をもった。①ケインズ主義的福祉国家、②フォード的生産方式と完全雇用、および③『男性稼ぎ主ー女性主婦』型性別分業と再生産平等主義を伴う近代家族である。これらを合わせて、『社会的再生産の20世紀体制』の3本柱と呼んでおこう。…
3本の柱は依存し合って、堅固なシステムを作っていた」14-5頁
「『近代家族』は歴史的構築物だが、それだけが単体で構築されたのではなく、3つの公共圏——すなわち国家と経済と社会(第3の公共圏はさまざまな概念化が可能だろう)——と共に生み出されたことが見えてきた。…『第1次人口転換』と『第2次人口転換』に挟まれた時代が典型的な近代である『第1の近代』であり、家族、国家、経済等の諸セクターが組み合わさって特定の構造を形作り、それが一定期間安定して維持された時代であったと言い換えることができる。これを『社会的再生産の20世紀体制』、もしくはシンプルに『20世紀体制』と呼ぶことにしよう。
アナール学派のフェルナン・ブローデルの『長い16世紀』に倣って、この期間を『短い20世紀』と呼んでおこう。『第1次人口転換』の終息から『第2次人口転換』の開始までの時期とすると1930年代から1970年代で、大恐慌とエネルギー危機(石油危機)の間、あるいはニューディールと福祉削減の間、そしてフェミニズムの2つの波の間でもある。その間に挟まれた期間には、ヨーロッパと北米、日本など当時『先進国』と呼ばれた地域において、互いによく似た安定した社会構造が現出した」14頁→
落合恵美子(2023)『親密圏と公共圏の社会学——ケアの20世紀体制を超えて』有斐閣
「大人とは異なる存在としての『子供』に愛情を注ぐという新しい習慣と、女性が家庭を生活の場とするという条件の成立、すなわち『近代家族』の誕生が新しい『女性=母親』像を創出したのである。生殖をつかさどる女性の役割が『母』として聖化される一方で、同時期に普及した産児制限により生殖から分離して自己増殖した性は、専ら性的存在としての『女』をうみだした。
『主婦』もまた時を同じくして誕生した。『主婦』とは家事に責任をもつ女性のことであるが、家事はしばしば言われるような前近代的労働では決してない。男性は外、女性は家庭という性別分業の成立の上に立って、『近代』社会に適合する労働力再生産を効率よくこなすよう再編成された家内労働が今日で言う『家事』である。近代的労働である『家事』を担う『主婦』もまた『近代』的存在なのである」190頁
「『近代家族』とは単に核家族ということではない。形態としての核家族なら北西欧では少なくとも16世紀にまで遡ることができる。『近代家族』とは①友愛結婚の出現、②子供への関心の増大、③家族規模の縮小(産児制限の普及)などをメルクマールとする、相互の強い愛情と家族意識という新たな心性で結ばれた家族である。われわれが『家族』という語で思い浮かべるような『家族』はまさにこの『近代家族』であり、たかだか2、300年ほどの歴史しかもっていないのである。それ以前の『家族』は、非血縁の奉公人も成員として含み、相互の情緒的紐帯は弱く、労働においても社交においても村の人間関係のネットワークに溶けこんでいた。夫婦はそれぞれつれあいよりも村の同性集団の人びとに親しい感情を抱いていた。家屋の構造も開放的で近隣の人々が自由に出入りしていた」188頁
村内の性淘汰をどう考えるだろうな? 「同性集団」とばかり過ごしていて楽しいはずがないだろう😅
「有賀喜左衛門が明示したように、日本の『家』は召使などの非血縁者も成員として含んでいた。ところが欧米流の家族定義が導入されるや、『家』の中の親族部分だけを『家族』とみなすという研究法が採用されて、非血縁者の同居は日本的特殊性として理論の埒外に押し出されてきた感がある。
ところが70年代以降、ヨーロッパで家族史研究が飛躍的進展を見せるようになると、近世ヨーロッパのファミリーは『家』と訳したほうが適切な内部構造をもっており…奉公人や寄宿人などとして非血縁者をしばしば含んでいたことが明らかになってきた。近代家族とそれ以前の家族を区別する最も明瞭なポイントは非血縁者の有無であるとさえ言われる。…
…親族でなければ家族ではないという近代の思い込みのほうが特殊に見える。近親者の親密性という新しい感性が、他人に家族に加わることを嫌い、19世紀ヨーロッパ中産階級家庭の家事使用人たちを最後に、追い出していったのである」158頁
「戦後日本の家族社会学は集団論的パラダイムを精力的に導入した上に花開いたが、これは『近代家族の影』であると同時に、『アメリカの影』(加藤典洋)でもあったろう。
集団論的パラダイムは『近代家族の影』であった。では制度論的研究には近代家族は影を落としていないのかというと、事態ははるかに混み入ってはいるが、やはり落としていると答えねばなるまい。
…例えば近代家族を最高次の家族形態とする進化論ははっきりと近代家族イデオロギーを示したものだと言える。また、もっとややこしいことに、『社会化の第一次的な担い手である伝統を背負う家父長的な農村家族』を家族の理想とする保守主義者や改革者たちの観念にも、近代家族の影が忍び入っているようだ。子どもの養育を最も中心的な機能とする家族、暖かい[ママ]家族愛で包まれた家族という伝統のイメージは、実は近代家族の理念だからである」145-6頁
社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります
(今はショーター『近代家族の形成』1975年)
背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザル
https://researchmap.jp/MasatoOnoue/