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「〈シュメールの長子相続制〉
…歴史の一段階において、シュメールの影響下にあった近東全域に長子相続の優位が存在した。その後、権力の中心となったアッカド王国から、平等主義的革新がもたらされたが、古い不平等主義的家族文化を完全に圧倒することには、特に周縁部において、成功しなかった。最初の局面において、シュメールの影響が遠隔の地にまで及んだ…インドのマヌ法典の中に見られる〈長子の取り分は2人分〉の定めは…おそらくこのシュメールの影響の強い痕跡に他ならない」724頁

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「ロシアのアッシリア学者ディアコノフは、『拡大』家族という表現の発見者にして第一人者となった。彼は古バビロニア時代のウルで、『拡大家族』の痕跡を見出したが、その拡大家族とは、『3ないし4世代の父系親族とその妻、子、ならびに家人を結びつける経済的単位、ないしそのような複数の経済的単位を強固に連結した集団』である」716頁

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「ハンムラビ法典は、男子に対して平等主義的であるが、偏執的ではない。だれか1人の息子に他の者よりも有利な恩恵を与える権利があり、しかもその息子は遺産相続の際に遺産の総額にその分を返還する義務はない、ということを認めているからである。それは165項に示されている。…
 女子は、相続から排除されているが、相当な婚資を受け取る。ある結婚契約書が明らかにしていることだが、ある娘は、婚資の一部として、母親から移譲された家を受け取っている。併せて指摘しておくなら、このことは、この父系・父方居住システムが、経済の領域において女性の現実的な自律性を存続させていることを示している、ということになる。
 ハンムラビ法典の中には、父方居住による巨大な家族的ネットワークに取り囲まれた核家族というモデルが暗黙のうちに想定されている」712-3頁

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「〈中心的局面における世帯の父方居住と明白な核家族性〉
 アッシリア学者たちは、古バビロニア時代の家族の基本的な2つの特徴、すなわち核家族性と父方居住性について意見が一致している。核家族性はここでは、小さな住居、ないし複数の相続人の間で頻繁に分割される住居、ないし結婚する男は独立した炉を立てなければならないという義務、によって定義される。父方居住の特徴は、娘を遺産相続から排除することと兄弟が互いに近接居住することによって定義される。これらの特徴は…ハンムラビ法典に姿を現わしている。自立した炉の設立という考えは、176項と190項に現われる。その相続権は明瞭に男性平等タイプのものであるが、末子への配慮の痕跡も保持している。特に166項にそれは見られる」710頁

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「中国の家族の典型的なシークエンスの大きな特徴のうちの3つを思い出しておこう。…
 1 中国の長子相続制は共通紀元前1100年頃に出現する。それは〈レベル1の父系制〉を含意していた。この父系制の程度を測定することはできないが、15から30%の母方居住権を存続させていたはずである。
 2 この穏健な父系原則は、おそらくステップの遊牧民たちに伝えられたと思われる。彼らは兄弟たちに同等の役割を与えて、この原則を対称化した。その後、その反動が中国を襲う。いまや父系の対称性の観念を担うことになったこれら遊牧民に侵略されたのである。長子相続制と中国直系家族の上に遊牧民の対称性が張り付くと、共同体家族という複合的なシステムが生まれることになった。共通紀元前200から100年ころ、中国は、この父方居住共同体家族によって、〈レベル2の父系制〉に到達した。これは、母方居住婚には実際上敵対的で、おそらく95%を超える父方居住率の出現へと至るのである。…
 3 これに次いで、中国において、女性のステータスの漸進的な低下が観察され、やがて〈レベル3の父系制〉に至る。このレベルは、共通紀元900から950年ころに、中国女性たちの纒足の慣習という兆候に行き着くのである」705-6頁

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「中東の例外的な父系制の強さは、それだけでも、数千年に及ぶ規模を喚起する。ところがイスラムというのは近年の現象であり、この宗教が中東に出現したとき、アラブ圏は最大限の父系制の地帯であったわけではないのである。…
 宗教的要因、つまりイスラムが、父系制の歴史の中でひじょうに重要な役割を果たしたと、何の検証もなしに頭から決めつけるのは、避けなければならない。…ムハンマドの啓示の後の歴史が示しているのは、コーランがアラブの親族システムに重圧をかけることはなかったということである。ムハンマドは部族法から女性を守ろうとした。…ムハンマドの時代のアラブのシステムでは、娘は遺産相続から除外されていた。そこでムハンマドは、コーランの規則の中に娘の留保分を設定することで、娘の地位を改善しようと試みたのである。…
 …イスラム圏の歴史の中で、親族システムの固有の力学の方が、コーランの啓示よりも強かった」697-8頁

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「中東ではキリスト教の残滓が周縁部の孤立地帯を占めているのも、あまり驚くことではない。イスラムは、この地帯に遅れて起こった革新であり、1つの中心点から、征服によって周囲に拡散していったのである。…要するに、キリスト教が古代的(アルカイック)家族形態に結びついているのは、当たり前なのである。
 シーア派と周縁部という概念との連合はより興味深い。いま検討した地理的ならびに家族絡みのデータは、シーア派とは、スンニ派イスラムと比べて革新者的なものと見なされるべきではなく、何らかの仕方で保守者的なものと見なされるべきだ、ということを強烈に示唆している。…シーア派とはとりわけ、古い人類学的要素に固執した住民集団の中で成功した、もしくは生き延びたものなのだ」696頁

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「〈家族類型の最初の歴史的解釈〉
 中東のケースにおいては、周縁地域の保守傾向の原則は直ちに適用されるように思われる。…定住民集団の核家族類型(一時的同居あるいは近接居住を伴う)は周縁部に存在する。母方居住、末子相続、長子相続、残留型ないし手つかずで元のままの外婚制、こうしたものの痕跡もやはり周縁部に存在する。
 こうした地理的分布から引き出せる主たる結論を要約すると、以下のようになる。
 ——起源的家族類型は核家族であったに違いない。
 ——中国や北インドと同様に、長子相続制が、兄弟間の平等に先行して行なわれていた可能性がある。
 ——父系原則は、この地域のどこかに位置する中心から周囲に広がった。
 ——内婚もまた、この地域に属するある中心から周囲に広がった革新であった。
 家族形態のこの一覧を通覧して感じたのは,キリスト教諸教会やシーア派ら派生したイスラム教のさまざまな変種という少数派宗教と、残留型家族類型との結びつきである」695頁

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「要するに、砂漠の、あるいは砂漠近辺の遊牧は、なんらかのやり方で、内婚を促進したに違いないのである。これに対して、12世紀の始めより中東に侵入したトルコないしモンゴルの大ステップ遊牧社会は、やがて中東を支配するに至った集団のイスラムへの改宗後も、イトコ婚へのある程度の抵抗を特徴とし続けた。…
…父系の組織編成とアラブ的内婚とは、イスラムの台頭の時にすでに姿を見せていたものだが、それはすでに当時から、遊牧とベドウィン的生活様式とに結びついていた」693頁

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「〈砂漠 内婚のベドウィン・モデル〉…
…起源的アラブ社会の理想型であるベドウィン人モデル…統計データは不完全であるが、中東におけるイトコ婚の頻度は、任意のある地域において、近隣に居住する定住民集団よりも遊牧民集団の方が高いようである。内婚の標準的な漸増のありさまというのは、都市から農村世界に移るときに、まず最初の増加があり、次いで遊牧民に達したときに、2度目の増加がある、というものである。内婚はアラビア、シリア、イラクにおいて最大限に達するわけだが、その全般的な地理的分布は、砂漠を中心としている、というか、より正確に言うなら、砂漠の外縁をなす乾燥したステップを中心としている。それはベドウィン人たちが行き来する道に他ならない」691頁

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「とはいえ、核家族が国家の出現にとって不可欠な条件であると主張するなら、それは馬鹿げているということになろう。中国にもロシアにも核家族は見当たらないのであるから。国家の台頭は、いくつかの特殊な人類学的形態によって促進されるが、それらの人類学的形態は、多様であり得る。そういうわけで、国家と核家族の相互補完性というものが感じられる。しかし、もう1つ別のタイプの国家と外婚型共同体家族の間には、また別の相互補完性が存在するのである。外婚制共同体家族は、隷属的で平等な個人を生み出す。これだけでも、官僚制的ポテンシャルとしては、すでになかなかのものである。
 私がここで喚起しているのは、核家族なり外婚型共同体家族を国家へと至らせる因果関係ではない。特定の時点における機能的関係である」681頁

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「フランスとイギリスという、西欧で最初に中央集権化された2つの国家は…核家族地域の中に地理的な土台を見出した。より複合的な家族システムによって構造化されているドイツとイタリアは、統一的で中央集権的な国家システムを作り出すのがより困難であった。とはいえイタリアには例外が1つあって、それがこの規則を証明している。すなわちナポリ王国である。この王国は、半島唯一の大きな国家であり、まさにイタリア・システムの中の核家族的・双方制的な地帯に設営された。スペインの統一は、ある意味では、一度として完了したためしはないが、スペインの政治的中枢たるカスティーリャはまさに核家族的である。とはいえ私は、西ヨーロッパの核家族核家族類型は、『概念的な直系家族空間』の中で、部分的には直系家族の諸価値への反動として生まれたことを強調した。…
 …中東において、国家の台頭がより進んだのは、核家族的基層が観察される、もしくは予感させるところにおいてである。当初の官僚組織が、トルコにおいては軍事的なものであり、イランでは宗教的なものであった…トルコの軍隊とシーア派の聖職者組織は、国家や教会よりも親族ネットワークによって特筆すべきものであるイスラム世界において、特筆すべき2つの例外となっているのである」680頁

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「〈西トルコとイラン中心部における核家族的傾向〉…
 トルコとイランという中東の2つの国家的な極は…家族構造の核家族性という要素と、父系親族の脆弱さという要素とに、それぞれ合致するのである。政治人類学の観点からすれば、それはきわめて正常なことに他ならない。父系にして共同体的にして内婚制の親族システムの力が強かったということが、中東における国家の台頭に対する主たる障害の1つであったし、いまでも依然としてあり続けている。官僚的組織編成というものは、己の支配空間の住人すべてを、非人格的かつ同等な態度で扱わなくてはならない。中央部的アラブ圏では、兄弟とイトコたちの横の連帯が、官僚機構の台頭に抵抗し、その中に入り込み、浸透し、遂には麻痺させてしまう。権力は、そこではしばしば、1つのクランの所有物、もしくは親族によって構造化された少数派的集団の所有物にすぎない。…国家の発達は、家族が核家族であって、親族が未分化的で選択可能であるがゆえに拘束性を持たず、とりわけ解体が容易であるところにおいて、より自然なのである」679-80頁

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「家族構造とイデオロギーの関係に関する,以前発表した研究の中で、私はアラブの家族慣習の人格を越えた力と、とり立てて抽象的なイスラムの神との間には、何らかの関係があることを強調した。フロイトその他が提唱する、神は父親の似姿てあるという仮説を受け入れるならば、娘をだれに嫁がせるかを選ぶことができないこのアラブの父親は、永遠なる神というものの明瞭で能動的なイメージをあまり強力に支えるものではないということを、認めなければならない。
 それゆえ、内婚制共同体家族を主題とするモノグラフを見ても、この家族は、外婚制共同体家族の特徴たる家内暴力と怨恨を表に現わすことがない。それは、息が詰まる、うっとうしいものとして体験されるようであるが、同時に、しかもとりわけ、温かく安心できるものとして体験されるように思われる。内婚がその周りに組織されている中心的な絆は、父と息子の関係の縦型の絆ではもはやなく、兄弟の連帯の横の絆なのである。ある意味では、兄弟間の関係の優位は、父親と息子の絆以上に、十全に発展した1つの父系制イデオロギーを前提とする」669頁

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「〈定住遊牧民の核家族性〉…
 …アラブ人やイラン人遊牧民集団の中にも,不完全な核家族と父系親族という[カザフ人、トルクメン人、キルギス人と]同様の組み合わせが見出される。厳密な意味での世帯集団は、1組の夫婦によって構成され、夫婦はその子供とともに1つの独立したテントに居住する。しかし、親族の父系イデオロギーが、キャンプとクランと部族とを組織編成している。サンプルには、遊牧民の核家族性に対する例外は2例しか含まれていない。トルコのユルック人とイラン領アゼルバイジャンのシャーセバン人である」663頁

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「〈共同体主義と核家族性〉
 この地域[中東]に支配的な2つの家族形態、いずれも父方居住の、共同体家族と一時的同居もしくは近接居住を伴う核家族との、中東の空間における分布の仕方は単純ではない。複雑に混ざりあっているのである。とはいえ、分布図は見た目には複雑であるが、いくつかの基本的な規則性がその下に隠されている。すなわち、共同体家族は、2つを除くすべてのケースで定住集団に対応し、一時的同居〔もしくは近接居住〕を伴う核家族は、21のうち12のケースで遊牧民の特徴となっている。これに対して、言語系統への帰属と家族類型の間に、何らかの相関関係を打ち立てることは不可能である」661頁

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ノエル・クールソン「拡大家族あるいは部族集団の概念に立脚しているスンニ派の法とは反対に、シーア派の法は、家族集団というもののより限定された考え方、すなわち両親とその直接の子孫〔子ども〕を含む家族集団という核家族的な考え方に立脚している」659頁
↑ N. J. Coulson (1971), Succession in the Muslim Family, Cambridge University Press, p.108.

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「〈人類学のアラブ問題 父系内婚制〉…
 …レヴィ=ストロースは、以下のように述べている。

 親族の問題の研究が、民族学研究の中で第一級の地位を占めて間もなく1世紀になろうとしているのは事実であるが(…)それにもかかわらず、われわれの思索と研究のなかには、言わば保留領域、私としてはほとんどタブーと言いたいような領域が存在する。それはまさしくイスラム社会における親族の問題と婚姻の問題からなる領域なのである。[”Entretiens interdisciplinaires sur les sociétés musulmanes,” 1959, p.13.]

 レヴィ=ストロースにとって、所謂『アラブ風』婚姻、すなわち父方平行イトコ婚は、彼個人に関わる問題である。この選好婚の存在のみが、そして旧世界の中央部空間へのその伝播普及が、もう1つのイトコ、すなわち母方交叉イトコとの選好婚に固着した彼自身の考察を、相対化してしまうのである」648頁

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「内婚は現実に存在したが、統計的には微弱であり、それは己の歴史的特異性を自覚し、外に向かって自らを閉ざした集団によって獲得されたものであるという結論に達する。これはすでに日本のケースですでに[ママ]喚起した結論に他ならない。
 東南アジアもさることながら、ヨーロッパには、核家族と、双方制が優越する親族システムと、4つのタイプの本イトコとの婚姻の禁止に対応する外婚制という3つの要素が見出される。交叉イトコ婚は、フィリピンでもそうだが、ヨーロッパには存在しない。ヨーロッパ大陸の中央部および西部における父方居住直系家族形態の出現、東部における父方居住共同体家族の出現は、親族用語にも、外婚制にも何らかの変更を強いることにはならなかったようである。親族用語は、ヨーロッパ中どこでも双方的なままに留まっており、外婚制もやはり双方のままである。父系制のロシア人でさえ、常にこのモデルに従っている。四方外婚の放棄の唯一証明されたケースである古代ギリシャのケースは、父系変動の影響をすでに受けていたシステム、それゆえ起源的基底から遠く離れたシステムに相当している。ギリシャの内婚は、ひとたびヨーロッパから姿を消してしまったのち、他の地[中東]できわめて見事な拡大領土を見出すことになった」637頁

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