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「私の研究者としての生涯の中で最も誇りとするところとは、実は、それが必要となったときに、方法論的な大転換を敢行することを得たということなのである。私は固定された家族システムとイデオロギー的・経済的上部構造の間の関連を確立したわけだが、研究者としての生涯の中途において、私はこうした構造主義的モデルから、家族類型そのものの出現・多様化・固定化のありようを理解するために、これとは全く異なる伝播論的モデルへと、転換したのである。私がこうした方法論的跳躍(ジャンプ)を行なうことができたのは、フランス有数の言語学者で、アジア諸言語の系統についての専門家である、友人のローラン・サガールのおかげである。彼のおかげで私は、自分の研究生活の第2部において、『社会構造』の諸レベルの間の構造的符合の諸問題を無視する、空間内での諸形態の伝播のモデルを提唱する、ということになったわけである」1頁

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Todd, Emmanuel. (2011) L’origine des systèmes familiaux, Tome1. L’Eurasie, Gallimard.
=2016 片桐友紀子・中野茂・東松秀雄・北垣潔訳『家族システムの起源 Ⅰ ユーラシア』㊤㊦ 藤原書店

石崎解説「ル・プレイは、モロッコからウラルまでのヨーロッパ全域の家族制度を調査し、3つの家族型を提唱したが、トッドは、ル・プレイが『核家族』と呼んだものを、絶対核家族と平等主義核家族の2種類に分割(すばらしい創見である)し、全部で8つの型を提唱している」II 436頁

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「私はアプリオリに家族の構造と宗教との関係が、アジアとヨーロッパにおいてまったく違っているとは考えないわけです。確かに、宗教の概念化では当初の宗教制度がかなり異なっていますが、人々が僧侶を越えて、自分たちが直接に宗教を実践し、参加するというレベルにいたった段階では、人類学的家族組織が現われてきて、そのおかげで驚くべき類似が説明できます。キリスト教と仏教の基本概念から出発して、ルター派と真宗の教理のように似たものに到達するには、共通の要因がなければなりません。
 2番目に、同じ1つの家族構造から派生したイデオロギーの多様性ということなんですけれども、1つの家族制度がただ1つのイデオロギーを産出するということではありません。もしそうだとすれば、歴史というものは存在しなくなってしまうでしょう」II 431頁

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「私は日本において仏教がとった形式に非常に関心をもっています。とりわけ阿弥陀思想の普及と、それから一時、仏教の中心的傾向になった真宗の発展です。それは仏教の構造の中で、その救済の問題、それから一神教の問題に関わってきます。そして真宗は、この救済という点と一神教的な性格という点で、ドイツのマルチン・ルターの考え方、ルター主義と非常に似ていると思うのです。…日本の仏教が厳密な一神教を目指してきたということ、これは〈直系家族〉地域によくある傾向で、〈直系家族〉は父が唯一で全能のものであるという点から、もっとも強力な一神教的概念をもつ家族制度です。阿弥陀も唯一の救世主であって、一神教的な発展をするのは、〈直系家族〉地域にあるからです。そしてもたらされる救済、救いが信者の意志や行動にかかわらず、阿弥陀の恩寵と阿弥陀の行為によってもたらされるという点です。これはまさにマルチン・ルターの恩寵の概念と共通しています」II 430-1頁

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「私はプロテスタントとカトリックが、カトリックとイスラム教ほどにまったく異なる宗教だと考えている」II 429頁

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(承前)「相続モデルをもつ農業経済、農場の描写を私がしたのは、〈直系家族〉の価値体系に到達する手段としてにすぎません。少しでも所有地や財産があれば、直系家族型価値システムは、不平等相続原則の3世代世帯をじつに明確に表わす、ということをこのモデルが語っているのです。…
 私はヨーロッパの場合、社会階層別の分析をいくつかしましたが、多くの場合、農民と貴族にはたいした違いはありません。…フランスの場合はいくつかの矛盾があって、パリ盆地などの場合は農民やブルジョアたちは、相続においては平等主義をとっていたのですが、貴族だけは〈直系家族〉の原則を適用し、一子相続の伝統がありました。ところが、一子相続をしていた人はフランス革命の際にギロチンにかけられ、比喩的な意味でも実際の意味でも、頭打ちになってしまいました[😅]。
 ですから重要なのは支配階級ではなくて、農民階級の大衆なのです。というのは、工業化以前の社会においては、農民がその社会の大多数を占めており、そして都市化以降は、農民の子孫が近代社会の大衆だからです。私が家族を語るとき、対象はあくまでも普通の一般の人間です。人類学者というのは、生まれつき当然の民主主義者で、普通の人にしか興味をもたないのです」II 432-3頁

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丸山照雄「権威と自由という、その2つの軸で親子関係を見ておられるわけですが、その関係を実証するために土地の問題を取り上げておられます。ところが相続すべき土地を持たない農民、その他の財産を持たない庶民は、私たちの経験上諒解していることですが、きわめて自由な親子関係であり、兄弟は平等に関係にあるということが事実としてあるわけです。一定の社会で、支配的な階層を取り上げているのか、あるいはリーダーシップをとっている人たちの家族制度が全体を覆っていると理解しているのか、あるいはそういう相続すべき財産のない人たちは埋没して問題にならないのか、どういうふうにお考えなのか」…

トッド「私の考えでは、全個人でないにしろ、全社会階級に共通する家族のシステムが存在すると思います。もちろん差異もあるでしょうが、ある地域には共通の価値システムがあると思うのです。
 私は農民階層を扱って、その価値システムを把握しましたが、それはその階層で捉えるのがもっとも容易だからであり、また工業化以前の社会においては、農民が多数派であったからです。当然〈直系家族〉の制度の中でも土地を持っていない農民は、相続の原則を適用する必要がないということを私は意識しています。けれども、」II 428・432頁→

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「ドイツ、スウェーデンが〈直系家族〉の地域であって、〈直系家族〉においては文化的に獲得したものを何も失わない。つまり親が字が読めれば子供が自分も字が読めるようになるという〈直系家族〉の特徴がこの識字化の発展に貢献しています。ところがイギリスの場合は、プロテスタントでも〈絶対核家族〉なので、ある時点では後退の現象が見られます。それは識字化の面においては、親が字が読めても子供は字が読めないことがあるということなのです。これはアングロサクソン系の〈絶対核家族〉の特徴なのですが、親が得ていたものを子供が失うという例があるのです。今これは過去においての話をしていますが、現在においてもそれはかなり有効な分析でありまして、今はポスト工業化社会で、ドイツと日本が非常にダイナミズムを保っているのは、〈直系家族〉システムにおける教育的なポテンシャルを失わないという特徴によるのではないかと考えます。アメリカ、そしてイギリスが、工業的、経済的、教育的に困難を見ているのは、〈絶対核家族〉でありますから、教育の伝達がなされないことに起因しています」II 423頁

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「複雑な総体——ヨーロッパ
…ヨーロッパの多様性を評価するにあたって考えなければならないことは、家族制度の面から見ますと、ヨーロッパの多様性は、日本とアメリカ合衆国とラテン・アメリカの多様性を1つにしたようなものだということです。すなわちヨーロッパの中にあるのは、日本のような〈直系家族〉、それからアメリカ合衆国にあるような〈絶対核家族〉、それからラテン・アメリカにあるような〈平等主義核家族〉、それらが一体になった複雑な総体がヨーロッパなのです」II 415頁

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「ドイツとイギリスの違いはどこから来るのかというと、まさに家族構造の違いから来ているのです。ドイツの場合、文化的な知識および手工業技術の伝達にはすぐれていましたが、人がどこか別の場所に移る、別の場所に根を移すということではすぐれていなかったのです。自分たちの家族を永続的に存続させることにはすぐれていたけれども、手工業や、農民たちが大きな工業化の波に乗って別のところに行って、そこで働くということが彼らはできなかったということなのです。
 絶対核家族——移行への柔軟性…イギリスの場合は、しかし〈絶対核家族〉という個人主義的構造ですから、個人が、子供が外の世界に出て行くということに抵抗がありませんでした。…
 したがって、アングロサクソンの〈絶対核家族〉は、別の社会構造の中に人を移すという、社会面での例外的な柔軟性をもっていたわけです」II 414頁

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〈セミナー〉「ヨーロッパの真実——人類学的視点から」II 402-34頁

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「ポスト工業時代の現代性の行方を決める権威なり自由なりの価値は、しかしどうやら専ら家族制度だけに担われているというわけにはいかなくなっている。家族はもちろん一定の役割を演じ続けている。しかし人口上の度重なる危機にこれほど揺り動かされた制度が、それほど大きな価値伝達能力を持ち続けていると考えるのは穏当ではない。学校、町内、企業といったものも、中継機関となるのである。伝統的価値は社会という人間集団全体の中に拡散していると想定することができる。かつて社会主義者、民族主義者、キリスト教信者が夢見た理想の都と同様に、ついに実現された理想の社会の構造は、やはり確実にこれらの価値によって決定されているのである」II 342頁

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「権威的気質の国でも、国家は工業社会の調節という同じ問題を解決する手段であることに変わりはない。しかしそれだけでなく、国家は住民のある種の愛の欲求を満たしてくれるのである。都市化と農村から都市への流出によって、農民的な3世代世帯のあの心休まる構造を失った個人に、安心感を与えてくれるのである。国家は技術的解決でも、必要悪でもない。その機能とは別に、それ自体として愛の対象となるのだ。権威的な国においては、ポスト工業社会への変貌によって、国家主義的な社会観が破壊されることはない。ただそのプロレタリアート的なイメージ一式が払拭されるだけである。国家それ自体への愛は、ポスト工業社会への変貌によって、その絶対的な歴史的永続性の中に再び据え直される」II 299頁

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「絶対核家族の自由主義的特徴によって、全体を支配する唯一の中枢というものが問題にならない非権威主義的な社会の中で、様々な集団が、尊重しうる個体としてお互いを認め合うことが可能になる。これに対して、権威主義的な直系家族は、社会構造全体の縦型の統合を要求し、すべての下位の小社会が唯一の権力に従属することを要求するのである。この権力のための闘争は、互いに競合するブロックを、最終的な目標が社会の全面的支配でしかありえない衝突へと駆り立てることになる。
 平等原理の不在——絶対核家族型と直系型という2つの人類学的タイプに共通する特徴——は、この両方のケースにおけるブロック間の分離のメカニズムを説明する。権威主義的特徴が存在するかしないかに応じて、分離の性格が荒々しいものか穏やかなものかが決定されるのである」II 224頁

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「絶対核家族は、社会主義であれ民族主義であれ、堅固に構築された教義の出現を促すことはない。イングランドの家族制度では、権威主義と平等主義の特徴がともに存在しないために、労働党主義と保守主義というイデオロギーが生まれた。それほど明瞭ではないが、これと同じ現象をオランダにおいて観察することかできる。オランダでは社会主義は脆弱にして軟弱であり、民族主義はカルヴァン主義の信仰の中にそれとなく身を隠す。絶対核家族の国では、政治システムは民族主義を表現するのが特に拙劣である。…絶対核家族地域のどこにでも特徴的に認められる、寛容と分離のメカニズム」II 220-1頁

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「このラテン3国[フランス、イタリア、スペイン]では、家族制度の平等主義的特徴が、社会・政治集団の一体性と均質性への熱望を育むが、この熱望は純然たる個人主義の発展を妨害するのである。したがって、イングランドの人類学的基底の特徴をなす平等原理に対する無関心は、家族制度の自由主義的特徴と同様に、個人主義的な社会的メカニズムの作動にとって本質的なものと思われるのである。階級、宗教的勢力ないしは政治的党派が、イングランドの社会構造の中では、他に類を見ない独特の自在さをもって共存しているが、それは兄弟が互いに異なっており、なおかつ必ずしも不平等であるわけではないからなのである。兄弟間の差異化の原理は、子供の独立の原理と同じく、寛容の概念の発達にとって必須のもののようである」II 204頁

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「人類学的決定とイデオロギーの不鮮明
…イングランドもフランスやドイツと同じく、家族構造とイデオロギー形態との間の歴史的法則を免れるものではない。絶対核家族には、それぞれ特有の型の社会主義と民族主義が対応する。イングランド文化は、いわゆる<主義>(社会主義、民族主義)を形作るあまりにも首尾一貫し形式化された政治的教義を意識的に拒否するが、それに目を眩されて、イングランド特有のイデオロギー形態が存在することを見失ってはならない。そのイデオロギー形態は、絶対核家族の価値によって完全に決定されているのである。イングランドのイデオロギーの無限定性は、まさしく絶対核家族における平等の概念の無限定性そのものによって産出されるのだ。しかし<人類学的無限定性がイデオロギー的無限定性を産出する>からといって、無限定になされるわけではない。これはこれで、兄弟間の平等性による平等主義的イデオロギー(フランス・モデル)や、兄弟間の不平等性による不平等主義的イデオロギー(ドイツ・モデル)の産出と、<まったく同じように厳密な決定作用を前提とするのである>」II 203頁

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「労働党の唯一の教義は、全体的な需要の統制によって十分に経済を制御することができるとするケインズ主義の労働組合版となる。ケインズは労働党の経済的自由主義が必要とする論理構成を提供するわけである。…社会的行為者の自由とは、もちろん資本家の自由であるが、またとりわけ労働組合の自由でもある。…ケインズは、30年代に組合運動にとって極めて受け入れ易い経済理論を練り上げる。彼の『雇用、金利、貨幣概論[雇用、利子、貨幣の一般理論]』は1936年に出版される。しかし、すでに1930年には、組合の指導者ベヴィンは、『財政と産業に関するマクミラン委員会』の枠内でケインズと接触していたのである」II 186頁

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