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「1880年から1914年までの民主主義的自由主義と、1893年から1970年までの労働党運動は、彼岸の探究にも社会変革にも等しく情熱をこめたこの急進的プロテスタンティズム[アルミニウス説]に負うところが大きいのである」II 177頁

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「急進的アルミニウス説は、自由意志を認めるが聖職者を締め出し、宗教システムから現実的な超越性をすべて排除している。この説は神の存在を否定するわけではないが、人間の神格化、少なくとも天上の光が宿る選ばれた人の神格化に到達する。このような宗教システムにとって、天上と地上の対立は実際にはそれほど明瞭ではない。神を信じることは現実的なことであるが、神そのものも、神に選ばれた人間を通して常にこの地上にいるのである。死後に人間にとって報いとなる形而上学的彼岸という概念は、いくぶん重要性を失う。そこから<不可避的に地上に神の都を実現しようとする意志が現われてくる>のである。17世紀のピューリタンであれ19世紀の非国教派であれ、イングランドの急進的プロテスタンティズムの核心には、<新たなるエルサレム>の神話がある。この天上のものであると同時に地上のものでもある理想の都は、死によって受動的に到達するのではなく、生きている間に、自分の生活を通して築き上げるべく努めるものなのである」II 175頁

New Jerusalem…まさに労働党社会主義

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「最初の自由主義は宗教的
 17世紀なるとすぐに、絶対核家族はイングランドでプロテスタンティズムの特殊形態、アルミニウス説を生み出す。アルミニウス説はプロテスタントの教義であるために、人間と神の関係において、聖職者にいかなる本質的な機能も与えていない。しかし、ルター主義やカルヴァン主義とは逆に、アルミニウス説は救霊予定説の権威主義的で不平等主義的な教義を受け入れていない。自由意志の原理を再び肯定し、したがってその原理をカトリシズムと共有することになる。しかしながら、アルミニウス説はカトリシズムのように平等主義的ではない。洗礼による原罪の消滅を信じない。アルミニウス説系の集団はいずれも、一部の人間だけが救済されることになる神の選択という、非平等主義的概念を実際上保持している。しかしながら、アルミニウス説における神に選ばれた人とは、カルヴァン主義の救霊予定者ではない。むしろ自ら選良と宣言した者たちなのである。自由主義的でありながら平等主義的でないアルミニウス説の形而上学はもちろん、自由主義的でありながら平等主義的でない絶対核家族の基本的価値を正確に反映している。クロムウェルの時代に、イングランドを支配する急進的ピューリタン諸派は、この傾向をその最も純粋な形で代表している」172-3頁

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「平等なき自由。この絶対核家族の基本的特徴が、イングランドのイデオロギー・システムの本質を成している。個人的自由の国イングランドは、その歴史の中で平等へ向かう性向を示すことはまったくない。その政治制度の発展は、フランス革命の担い手たちの精神においては、必然的に結びつき、切り離すことができないものであった自由と平等という2つの理念が、実は別々のものであることをはっきりと示しているのである」II 171頁

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「共同体主義——家族のレベルと政治のレベルにおける——が持つ平等主義的要素のために、[イタリアの]ファシズムは不安定で困難なものとなる。ヒエラルキーの理想についての首尾一貫した概念が発達するのが、それで妨げられてしまうからである。直系家族の方は、数学的意味において完全に<順序づけられた>社会的宇宙像の形成を促す。極端に一般化するなら、父親の権威と兄弟の不平等は、単一のヒエラルキー原理の2つの適用とみなすことができる。直系家族はそのヒエラルキー原理の人類学的レベルにおける完璧な具現なのである。…ヒエラルキーの2つの側面——息子に対する父親の、弟に対する——の組み合わせが、完全に順序づけられたシステムを創り出す。任意に取り上げられた2人の個人は、常に互いに上下関係にしたがって位置づけられる。そうなれば、個人の集まりの中に序列関係が存在することになる…だから社会全体に及ぶヒエラルキーを設定することはできないのである。平等主義原理は、明瞭に縦型に階層化された権威システムの発展を妨げ、エリートないし指導者崇拝を脆弱化するのである」II 142-3頁

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「●分益小作制はしばしば共同体家族の地域で優勢である。
 ●分益小作制は脱キリスト教化を促進する。分益小作制は農民からその経営の所有権をとりあげ、その個人的運命の統御の権利をとりあげるからである。
 ●共同体家族組織の平等主義的特徴も、また脱キリスト教化の条件となる。それが神の超越の観念の拒否につながるからである」II 134-5頁

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「イタリア全域では、共産主義と分益小作制の間の相関係数は+0.64である。
 したがって、分益小作制は共同体的家族構造地域の中で脱キリスト教化された地域を左傾化させるわけである。この農地形態がこの地域ではとりわけ厳しい搾取機構に対応し、分益小作人の共同体家族は、大抵は都市の人間である地主のなすがままなのだから、左傾化も当然の現象なのである」II 133頁

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「この2つの対——自由/権威と平等/不平等——の組み合わせから、夢に見た理想の社会構造の中で労働者階級がとる4つの可能な地位が出て来る。
 <自由と平等>(平等主義核家族)——無政府社会主義にとっての労働者とは、他の人々——すなわちブルジョワ——と対等の人間であり、自由だが支配的ではない。
 <権威と不平等>(直系家族)——社会民主主義は、支配的だが、差異化原理の名のもとに他の階級の存在を容認する労働者階級、要するに支配的身分を欲する。
 <権威と平等>(共同体家族)——共産主義は、万人に対して平等でありながら支配的な労働者を要求する。この組み合わせには矛盾の兆しのようなものが感じられる。他と異なって上に立つことなしに、どうやって支配することができるだろうか。理にかなった唯一の解決法は、すべての社会的存在を労働者に、プロレタリアに変えることである。…
 社会構造の中で労働者がとる可能な4つ目の地位は、第4の家族形態、すなわち絶対核家族の存在から派生する。…この自由主義的でありながら平等主義的ではない家族制度から由来する社会主義が好む労働者とは、解放されているけれども、他の人間とは異なる人間、強い階級意識を持つが、社会の支配を願うことのない人間である」II 127-8頁
チャタレイの愛人メラーズみたいな😅

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「共産主義とプロレタリアート独裁…
 ●自由/権威という対立は、労働者の権力が存在するか否かを決定する。権威的家族制度の下では、労働者階級は社会構造の中で<指導的>役割を果さねばならないとされる。自由主義的家族制度の下においては、労働者階級は単に<解放された>とみなされるだけで、他の階級の上に権威を揮うべきものとは考えられない。
 ●平等/不平等の対立は、階級間の関係が対等か差別的かを決定する。平等主義的家族制度の下では、プロレタリアは他の人間と同類の人間として立ち現われる。不平等主義的家族制度の下では、プロレタリアはブルジョワや農民とは本質的に異なる特別なカテゴリーをなす」II 127頁

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「西ヨーロッパには、共同体家族が実際に支配的であるような民族はひとつもない。イタリア中部、フランスの中央山塊北西周縁部の数県と、ポルトガル南部——母系制という形に変質してはいるが——といった地方で多数を占めるだけである。…
 西ヨーロッパの共同体家族は数の上では非常に少ないものの、政治学者には理論面で強い満足感を与えることができる。この地域の大部分——フランコ体制とサラザール体制の崩壊以後はその全部——で自由選挙が行なわれるようになったおかげで、共同体家族と共産主義の間には緊密な関係が存在するということを、細密な地理的レベルで検証することができるのである」II 121頁

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「直系家族と時間的連続性
 直系家族に由来するイデオロギー・システムの最も著しい特徴は、疑いなく時間的連続性である。このイデオロギー・システムを構成する3大勢力——社会民主主義、自民族中心的民族主義、キリスト教民主主義——は、関連するどの国においても、時間とともに起こる風化、経済的・社会的・外交的・軍事的な環境の変化に対してまさに啞然とするような抵抗力を示すのである。過去の選挙の跡をたどれば、諸政党およびその勢力比の驚くべき連続性が目に付く。…
 この安定性を生み出すのは直系家族なのだ。権威と不平等という価値よりも前に、時間的連続性そのものが直系家族の主たる強迫観念なのである。直系家族は家系というものを作り出す。それはその厳格で必然的な規則によって、時を越えて、個人の死を越えて永続すべき人間集団に他ならない。この時間的連続性への偏執は、当然イデオロギーの分野にも姿を見せる。過去への忠誠というものこそ、ひとたび形成されたイデオロギー・システムを結晶化させ、固定させる主たる価値なのだ」II 117-8頁

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「フランスの反ユダヤ主義の挫折
…プロテスタント・ドイツは脱キリスト教化が進行しつつある直系家族地域であり、要するに反ユダヤ主義イデオロギーの普及には好適な土壌を提供する。それに対してフランスでは、民族システムの中心は平等主義核家族に依拠しており、それは自由と平等の価値を、つまりは普遍的人間の理想を不断に産出し続ける」II 29頁

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「人間の不平等と階級意識
 他のすべての人間と平等な普遍的人間というフランス的理想は、兄弟の平等を要求する家族的価値をイデオロギーの次元に移し替えたものである。これに対してドイツ文化の特徴は普遍的人間の拒否であるが、これはドイツ的家族制度の不平等主義的特徴から来ている。兄弟間の不平等が人間の不平等に変換されたわけである」II 21頁

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「近代都市と直系家族の破壊
…農村から都市への無痛性の移動は、直系家族の特徴ではない。全く逆である。3世代が同じ屋根の下で暮らすことは、農村にあっては経済的に正当な理由があるのだが、都市の中ではあらゆる実際的な意味を失う。権威と世代間の相互依存という価値にどんなに執着していようと、都市では世帯は分裂せざるを得ない。直系家族の地域においても、都市的生活様式では2世代<世帯>が典型的となる。…それは価値の変化に対応するわけではなく、経済的条件への適応の結果なのである。…価値が、都市でもまだ存続しているとしても、3世代世帯の構築という具体的な形を取ることはなくなった…都市部においては、閉ざされた家族の安全性は消え去った…この農村脱出の期間に、世帯の分解は独特な型の不安を作り出す」II 14頁

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「ヘーゲルのモデルの面白い点は、権威と不平等の概念を理想社会の内的な描写に系統的に適用したという点である。『法の哲学』(1821)においては、権威の理想は国家への愛…に、不平等の夢は階級の序列化にまで行き着くのである」II 9頁

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「革命的民族主義→無政府社会主義+自由軍国主義
 要するに、自由軍国主義の地理的分布は、無政府社会主義のそれを再現することになる。当然の一致だ。この2つのイデオロギーは、同じ家族的土壌に由来し、同じ自由・平等の価値のそれぞれ右の解釈と左の解釈に他ならないからである」292頁

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「無政府社会主義
…いかに[平等主義核]家族的決定因子の力が強いかが測れる。搾取され支配された階級は平等を要求するが、だからと言ってそれが自由主義的諸価値を放棄することに結びつくことはない。1880年から1914年の労働者にとっては、理想の都における社会的諸条件の平等を実現するという仕事を、何らかの労働者国家に委ねることは問題外なのである」286-7頁

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「平等主義核家族は個人主義的であり、殊に明快な所有の概念の構築に有利に働くのである。…平等主義核家族地域にはどこでも、個人の所有権を保証するための自由主義的国家を必要とするが、権威のあらゆる具体的顕現を嫌悪するという特有のジレンマがあり、このジレンマには単純な解決は存在しない。実際上は、無政府主義的な解体と軍による再組織化の間を恒常的に揺れ動くというのが、この人類学的システムに支配される大部分の国で観察されることである」279-80頁

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