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「生命が機械論と同様に目的性をも超えるようにみる考えはもちろん新しいどころではない。…心理的な生命は一でも多でもない。それは<機械的な>ものをも<知性的な>ものをも超える。機械論や目的論は『区別された多』、『空間性』、したがって部分が先行する集合の存在する場合にかぎって意味をもつ」14頁

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「スペンサのにせの進化論を真の進化論で置きかえる…前者は要するに、すでに進化をとげた現在の事象をおなじく進化をとげた細片に裁断して、その上でこれらの断片から事象を再構成するものであり、したがって肝腎の説明されるはずの事柄をあらかじめ全部みとめてしまっている。それにかわる真の進化論は、事象をその発生し成長するままに跡づけることであろう」12-3頁

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「生命の本性をきわめることは諦めねばならないのか。知性からあてがわれるにきまっている機械的な生命観で私たちはこらえていなければならぬのであろうか。この生命観は生命の全体活動を人間活動のある種の形に、生命の部分的で局所的なあらわれにすぎず生命作用の結果ないしは残渣のひとつにすぎないものにちぢめる以上、どうしても人工的符号的になるほかはない」10頁

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Bergson, Henri-Louis. (1907) L’Évolution créatrice.
=1979 真方敬道訳『創造的進化』岩波文庫

高2か高3の時に買って、40年近く積ん読してました😅(ちょうど岩波文庫が、パラフィン紙からツルツルのカバーに移行していた頃)

「生物学の主要な問題の一つに、つぎのものがある。すなわち遺伝子やウイルスを形成する基本物質、またはガンを発生させる、多分、特別な物質が、それらの特殊性を全然もっていない、アミノ酸と核酸の混合物などのような物質から自分自身をどうやって増殖させていくかという機構の解明である。普通なされている説明は、これらの物質の一つの分子が鋳型として働き、その鋳型にしたがって、成分となる小さな分子がならんで、もとの物質と同種の巨大分子(macro-molecule)を作り上げるというのである。しかし、これはまったくの言葉のあやであって、すでに存在している巨大分子になぞらえて、もう一つの巨大分子が形成されるという生命の基本現象を単にいいかえたにすぎない。この過程がどのようにして起るものであるとしても、ともかく動的な過程であり、力またはそれに相当するものが関係する。この力を説明する一つの可能な方法は、分子の個性(specificity)は、分子の輻射の周波数の型によって決定されると考えることである」369頁

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「学習は、個体の経験による環境への適応、すなわちいわゆる個体的学習の基礎であるのに対し、増殖は、種属的学習の基礎をなす。後者は変異や自然淘汰がはたらく対象である。…哺乳動物、とくにヒトは、環境への適応を大部分個体的学習によって行なう。一方、鳥類は、きわめて多彩な行動形態を有するが、それらは個体の一生のうちには学習できないものであって、鳥類にあっては種属的学習が強力に行なわれているわけである」335頁

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「アミノ酸と核酸の混合物から自分と同じ遺伝子分子を作り出すのに、遺伝子が ’鋳型’ として動作するときの機構や、ウイルスがその宿主の組織と体液から自分に似せて他のウイルス分子を作る機構と、今までに述べてきたこと[増殖する機械]とは思想的にひじょうにかけはなれたことであろうか。私は、これらの過程がその細部にいたるまで同じであるとはけっして思わないが、思想的にはひじょうに類似の現象であると考えるのである」334頁

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「ジュリアン・ハックスリー(Julian Huxley)は、鳥の心理についての基本的な論文で、鳥では、個体的学習能力が僅少であることを指摘している」315頁

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「個体的学習も種属的学習も、特に後者は、動物だけではなく植物にも見られる。それは何らかの意味で生命があると考えられるすべての組織に見られるのである。しかし、生物体の種類が異なれば、この2種の学習の重要さの程度も大幅に異なるものとなる。ヒトにおいて、またそれほどではないが他の哺乳類において、この個体的学習と、個人的な適応性は最高度に発達している。実際、ヒトの種属的学習の大部分は、個体的学習がうまくできる能力を確立することに向けられているといっても過言ではない」315頁

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「生物組織を特徴づけるとわれわれが考えている現象に、つぎの2つのものがある。学習する能力と、増殖する能力である。この2つは、一見異なっているようだが、互に関連している。学習する動物というのは、過去の環境によって、今までとは異なる存在に変化することができ、したがって、その一生のあいだに、環境に適応できる動物のことである。増殖する動物というのは、少なくとも近似的には、自分と同じような別の動物を作り出すことのできる動物のことである。’同じような’ といっても完全に同じで、時間がたっても変らないというわけではないだろうから、もしこのときに生ずる変化が遺伝するものならば、その素材に自然淘汰がはたらき得ることになる。遺伝によって行動のしかたが伝えられるものならば、それらのいろいろな行動の形態のあるものは、種の生存のために有利であることが見出されて、固定され、種の生存に不都合な他の行動形態は排除される。こうして、ある種の、種族的(racial)、または系統発生的(phylogenetic)な学習が生じる。この反対が、個体の個体発生的(ontogenetic)な学習である。種族的、個体的学習はともに、動物が自分自身を環境に適応させていく手段である」314頁

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「精密科学におけるすべての偉大な成功は、現象が観察者からある程度以上に離れている分野で得られたのである。…
 観察者と観察される現象との結合を最小にすることが最も困難になるのは社会科学においてである。観察者の側からいえば、社会科学における観察者は彼の注意をひく現象に大きな影響を与えることができる。…民族の社会的習慣の多くは、それについて調査をしたということだけのために、失われたり歪曲されたりしてしまうことがある。ふつうに言いならわされているのとは別の意味で、’翻訳者は叛逆者である’(tradutore traditore)。
 他方、社会科学者は、その研究する問題を時間的にも場所的にも無関係な立場から冷静に見下ろせるかといえばそうではない。…
…結局、社会科学においては、調査が統計的なものであっても力学的なものであっても——調査はその両方の性質をもつべきものであるが——その結果の数字は最初の2,3桁しか信用できない。要するに自然科学でいつも得られるものと比較しうるほど確実で意味のある情報は得られないのである」306-9頁

意外と「社会工学」に批判的

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「成員の間の結合が密接な小さな共同社会は、高度の教育をうけた人たちの文明社会であろうと、原始的な社会であろうと、相当な程度の恒常作用をもっているのである。原始的な共同生活をおくる人々の風習は、時に奇妙でわれわれに反感をさえ催させることもあるが、一般にひじょうにはっきりした恒常作用としての価値をもっており、それを解釈することは人類学の仕事に属している。無情なやりかたが最高の水準に達し得るのは大きな共同社会における場合だけである。…社会における、これらの恒常作用に反する諸因子のうちで、報道手段の統制がもっとも効果的で、また重要なものである。
 本書で学んだことの一つは、どのような組織体でも、情報の獲得・使用・保持・伝達のための手段をもつことによって、恒常作用が営まれるということである」302-3頁

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「共同社会の有効な情報量に関連して、国家に関するもっとも驚くべき事実の一つは、有効な恒常作用(homeostatic process)が極度に欠けていることである」299頁

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「共同社会というものは、情報が効果をもって伝達される範囲のところに成立するのである。それについては、一つの集団に、外部からもたらされる決定の数と、その集団内でなされる決定の数を比較して、一種の測度を与えることができる。それによって、集団の自治(autonomy)の程度が測定される。集団の実際上の広がりは、このようにしてあらわされる自治の程度がある程度まで達した部分の広がりとして測られる」298頁

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「ライプニッツは生体をその中に血球などの他の生体が生存している一つの集合体と考えた。これも[ホッブズの『リヴァイアサン』と]同じ方向に一歩考えを進めたものに他ならない。事実これは、細胞説の哲学的な先駆であったといってよい」293頁

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「パストゥール(Pasteur)は彼の経歴の割合初期に右側の脳出血を起し、それ以来中程度の片側麻痺、いわゆる半身不随となった。彼が死亡したときに脳を検査して、右脳に傷害があることがわかったが、それは相当広範囲にひろがったものであった。彼は脳出血以来 ”脳を半分しかもっていなかった” といわれたほどである。…それにもかかわらず、この傷害の後に彼はすぐれた研究をいくつか行なったのである」289頁

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「人間の脳のニューロン連鎖が、他の動物よりも長いことから、精神異常が人間に最も顕著にあらわれ、またおそらく人間に最も多く見られるということが説明されよう」287頁

ほんまかいな😅

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「いかなる形の有機体の大きさにも上限があって、それを超えると機能を果たし得なくなるということは、ダーシー・トンプソン(D’Arcy Thompson)などの多数の著者がすでに言及している。…同様な事柄は工学的な建造物にも見られる。…同様に、拡張を予定しない一定の計画に従って建設される電話局の大きさにも限度があり、その限度は電話技術者によって徹底的に研究されている」283-4頁

ダーシー・「トムソン」が一般的ですね…エボデボの祖と目される人の一人

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「脳と計算機とが多くの共通点をもっているという認識は、精神病理学にとってはもちろん、精神病学にとっても、新しい有効な近接手段を暗示するものと思われる」273頁

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「機械の使い方と脳の使い方とのあいだには次のようなちがいがあることに注意しておこう。すなわち機械は、相互にまったく関連なしに、あるいは最小限度の関連をもって、多数回連続的に使用できるようにつくられており、1回ごとに記録は抹消される。ところが脳はふつうの状態では、近似的にさえも過去の記録を抹消してしまうことはない。したがって正常な状態では、脳は計算機に完全に相似な性質をもつものではなく、むしろ計算機を1回だけ運転する場合に似ている」234-5頁

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