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(承前)「熱力学の第二原理に従えば、物理学的な過程の一般傾向はエントロピーを増す方向、すなわち確率を増し秩序を減らす状態に向かう。生物システムは自らを高度の秩序と不確実性の状態に維持し、あるいは生物体の発育と進化の場合のようにオーガニゼーションを増す方向に進みさえする。そのへんのわけはプリゴジーヌの拡張されたエントロピー関数の中に与えられている。閉鎖システム中では、エントロピーはつねにクラジウスの方程式に従って増大する。
 dS≧0
…開放システムではそれと対照的に、エントロピーの全体の変化はプリゴジーヌに従えば次のように書かれる。
 dS=deS+diS
…deSは移入によるエントロピーの変化を意味し、diSはシステム内の不可逆過程、たとえば化学反応、拡散、熱輸送などによるエントロピー生成を意味する。diSの項は第二原理に従ってつねに正である。deSのエントロピー輸送のほうは、正でも負でもありうる。負になるのは、自由エネルギーの潜在的な担い手としての物質、すなわち『負のエントロピー』が入ってくることによる。これが生物体システムにおける負エントロピー傾向の基礎であり、『生物体は負のエントロピーを食べる』というシュレーディンガーの言葉の基礎でもある」138-40頁

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(承前)「それゆえ閉じた物理化学的システムと対照的に、異なった初期条件から出発したり過程に攪乱を与えたりしても、同一の最終状態が等結果的に達せられる。さらに、化学平衡の状態はその過程を促進する触媒に無関係だけれども、それと対照的に、定常状態は、存在する触媒とそれらの反応定数とに依存する。開放システムでは、<いきすぎ>(overshoot)や<出足の遅れ>(false start)の現象…がおこって、最初は逆の方向に進んでも、けっきょく最後には定常状態に導かれる。また、生理学でしばしばいきすぎと出足の遅れの現象が見られるということは、開放システムにおいての過程を扱っているのだということを示している。
 熱力学の見地からいうと、開放システムは自らを統計的に高度に不確実な状態、秩序とオーガニゼーションをもつ状態に維持することができる」138頁→

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「開放システムは環境とのあいだで物質の交換を行なっていて、入るものと出るものがあり、その物質成分を組みたてたり壊したりしているシステムである。…
 単純なものでさえ開放システムはいちじるしく注目すべき特徴を示す。一定の条件下では、開放システムは時間に依存しない状態、いわゆる定常状態(von Bertalanffy, 1942のいう<動的平衡>😅)に達する。定常状態は真の平衡からある距離のところで維持されるもので、したがって仕事をすることができる。生物システムの場合にも見られるとおり、それは平衡状態にあるシステムとは対照をなすものである。たえまなしに不可逆な過程、つまり出たり入ったり、組みたてたり壊されたりが生じているにもかかわらず、システムは構成が一定のままに保たれる。定常状態はいちじるしい調節の特徴を示し、それは等結果性ということにおいて特によく見てとられる。開放システムでは定常状態が達せられると、それは初期条件に依存せず、システムのパラメータ、つまり反応速度や輸送速度によってだけ決定される。これが多くの生物過程、たとえば生長の場合に…見いだされる<等結果性>と呼ばれるものである」137-8頁→

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(承前)「第二に<調節>の問題がある。たしかに現代のオートマトン(自動機械)の理論からして自己修復機械というものは考えられる。勝手な攪乱を与えたのちの調節や修復を考えると問題がでてくる。…攪乱がどこで機械あるいは自動機械としての生物体から去ってくれるのだろうか。よく知られるとおりこうした種類の生物的調節は、生命機械がいわゆるエンテレキーと呼ばれる超物理学的な作用によって制御され修復されている証拠として、生気論者が利用したものである。
 以上の二つよりずっと重要なのは第三の疑問である。生きている生物体はたえず成分の交換を続けながら一定に維持されている。代謝は生きているシステムの基本特徴である。いわば、たえず自らを消費しながら自らを維持しつづける燃料からなる機械が、ここにある。そういう機械はこんにちの技術の中にはない。別の言葉でいえば、生物体が機械類似の構造をもつことは生命過程の秩序を究極的に説明する理由とはなりえない。なぜならその機械自身が、秩序づけられた過程の流れの中で維持されているのだから。したがって第一義的に重要な秩序は過程そのものの中にあるのでなければならない」136-7頁

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「成功にもかかわらず、生物体の機械モデルにはそれなりの困難と限界がある。
 まず第一に<機械の起原>の問題がある。かつてのデカルトにはこの問題はなかった。というのは彼の動物機械は聖なる時計作りの創作であったから。しかし方向性のない物理化学的事象の世界では、どのようにして機械というものが現われたのだろうか。…私たちはもちろんダーウィン流の説明を知っている。しかし、とりわけ物理学的な心で思いめぐらしてみると疑問は残る。進化について書かれた教科書にはふつう書かれてないか答えていないかする疑問が残る」136頁→

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「<生命機械とその限界>
…正常と病気と死んだ生物体の違いは何か? 物理学や化学の立場からいえば、いわゆる機械論にもとづいては違いを規定できないという答にならざるをえない。…
 ところが生きた生物体と死んだ生物体の間には根本的な差違[ママ]があって、生きている生物体と死んだ生物体を区別するには通常何の困難もない。生きものでは無数の化学的および物理学的な過程が、その生きているシステムの存続、生長、発育、生殖などを許すような形で『秩序づけられ』ている」135頁

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「まず第一にそれ[等結果性の一般的な定式化]は、一見形而上学的あるいは生気論的な合目的性の概念に、物理的な定式化を与えうることがわかる。よく知られているとおり、等結果性の現象はドリーシュの生気論のいわゆる『証明』の基礎となっている。第二に、生物の根本的な特性の一つ、すなわち生物が熱力学的平衡状態にある閉じた系でなく(準)定常状態にある開放システムという事実と、もう一つの特性である等結果性とが、密接な関係にあることがわかる。…
…しばしば生気論的あるいは神秘的に考えられてきた生物のシステムの多くの特性が、システム概念といくつかのかなり一般的なシステム方程式から熱力学的、統計力学的考察と結びついた形で導かれる…
…個々の生物学的現象の理論は私たちの一般方程式の特殊例であることがわかるであろう」130-1頁

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「<等結果性>
 生物学的なシステムの一つの重要な特性は『合目的性』、『目的性』、『目標指向性』、等々の言葉で表わされる。…
 生物体的過程の中での動的秩序にきわめて特徴的な一つの面は<等結果性>と名づけることができる。機械のような構造内で生ずる諸過程は一定の決まった経路をたどっていく。それゆえもし初期条件や過程の経路を変えれば最終状態も変わる。これに対して生物的な過程では初期条件が異なっても途中のみちが異なっても同じ最終状態、同じ『目標』に達する」129頁

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「生物体内システムの特徴として示された諸性質、すなわち『動的平衡』の維持、組成と成分絶対量との独立性、条件や栄養が変動しても組成が一定に維持されること、正常な異化あるいは刺激によって増大した異化の後に動的平衡が再び確立されること、諸過程の動的な秩序、等々は開放システムの性質から導かれる当然の結果である。『代謝の自己調整』は物理学的領原理の基礎にたって理解することができる」128頁

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「たえず連続的に仕事ができる能力は、できるだけすみやかに平衡に達してしまおうとする傾向のある閉鎖システムにおいてはありえず、開放システムにおいてだけありうる。生物体に見いだされるみかけ上の『平衡』は仕事のできない真の平衡ではない。それは真の平衡から一定の距離をつねに保っている動的準平衡である。それゆえに仕事をすることはできるが、他方、真の平衡から距離を保つためにエネルギーの流入をたえず必要とする。
 『動的平衡』の維持のためには、諸過程の速度が正確に調和がとれていることを必要とする。このようにしてはじめて、一定の成分が壊れて自由エネルギーを放出していく一方で、エネルギーの流入によりシステムが平衡に達するのを妨げることができる。速い反応は、生物体においても、化学平衡に導く…遅い反応は平衡に達せず定常状態に保たれる。したがって、ある化学システムが定常状態に存在するための条件は、反応速度がある程度遅いことである。…生物体で定常状態が維持されるのは、生物体が複雑な炭素化合物からできているという事実による」123頁

F岡S一の元ネタはこのあたりですかね😅

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「物質とエネルギーのたえまない流れと交換の中でシステムを維持していくことや、このことを許すような仕方でなされている細胞内あるいは生物体内での無数の物理化学反応のもつ秩序や、いろいろにちがう条件下でも攪乱の後でもちがう大きさのときでもつねに成分の比が一定に保たれていることは、生体代謝の中心問題である。同化と異化における生物システムの表裏二面的な変化…一定状態の維持に向かう傾向、変質(退化)によって生ずる攪乱を補償するような更新(再生)をもたらす。…細胞内、生物体内の物理化学的過程について、私たちは非常に多くの知識を持ってはいる。しかし私たちは、『個々の過程の完全な説明がついた後でさえも、一個の細胞の代謝全体を十分に理解することからはほど遠いところにある』…ことを見すごしてはならない。…再三再四、問題が生気論的な結論…に持っていかれてしまったのも驚くべきことではないのである」121頁

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「そういう[開放化学]システムは生物学者にとっては大きな重要性をもっている。というのは開放化学システムはじっさい自然の中で、生物体という形で実現していて、自分の成分をたえず交換していく中で自分自身を維持しているからである。『生命は多相システムにおける動的平衡である』(Hopkins)」120頁

出た、動的平衡😅😅😅

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「最後に、生物体の状態を定常状態として規定することは第一近似としてのみ正しいものであり、たとえば代謝の研究のさいに私たちがやるように、『成体』の生物体で短時間のあいだ適用するかぎりでなりたつことを注意しておこう。全生活環をとればその過程は定常でなく、せいぜい準定常であるにすぎず、一定の研究目的のためにそこから抽象してこられる程度のゆるやかな変化はこうむっているものであり、これが胚発生、生長、老化(加齢)、死などというものをなしているわけである。これらの現象は、くまなくというわけではないが形態形成という言葉に包括され、一般生理学の第三の大きな問題群を代表するものである」119頁

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(承前)「定常状態(あるいはむしろ準定常状態)にあるシステムとしての生物体の特性は、そのいちばん大事な区別点の一つである。一般的な仕方で、基本的な生命現象をこのことの諸結果として考えることができる。比較的短い時間範囲で生物について考えてみると、それは成分の交換によって定常状態に保たれている形状(cofigulation)のようにみえる。これは一般生理学の第一の主要分野に対応する——すなわち、化学的、エネルギー論的側面を扱う代謝の生理学である。定常状態の上により小さな過程の波がかさねあわされていて、これは基本的に二種類のものからなる。まず第一にシステム自身の中から由来する、したがって自動的な周期過程がある…第二に、生物体は環境の一時的変化、『刺激』に対して、その定常状態の可逆的なゆらぎをもって反応する。これは外部条件の変化によってひきおこされ、したがって他律的な一群の過程であり、興奮の生理学に含められる。それらは、定常状態が一時的に攪乱されて、そこからまた生物体が『平衡』へ、すなわち定常状態の等しい流れへと復することであると考えられる」119頁

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「全体としての生物体を考えてみると、それは平衡状態にあるシステムと似た特徴を示す…
 けれども、生物体の中には平衡状態のシステムがあるようにみえても、生物体自体は平衡システムと考えることのできないものであることは、すぐわかることである。
 生物体は閉鎖システムでなく、開放システムである。システムに物質が全然出入りしないときそれを『閉じている(閉鎖)』と呼び、物質の出入りがあれば『開いている(開放)』と呼ぶ。
 それゆえ化学平衡と代謝を行なっている生物体との間には根本的な対立がある。生物体は、外に対して閉じていて常に一定の成分を含むような静的なシステムではない。それは(準)定常状態にある開放システムであり、成分物質とエネルギーがたえず変化する中でも質量関係が一定に保たれつつ、その中で物質がたえず外の環境から入ったり、また外の環境へ出ていったりしている」118-9頁→

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「製造会社、都市化、労働の分化などのような社会的なものに単純な生長法則が当てはまるという事実は、これらの点では『生物アナロジー』が正しいことを示している。歴史学者たちの抵抗があるにもかかわらず、理論的モデル、特に動力学的な開放および適応システムのモデルを歴史的過程に当てはめることは…たしかに意味のあることである。これは『生物学主義』、つまり社会学的なものを生物学的概念に還元することを意味するのではなく、両方の分野にシステム原理が適用できることを示すものである」116頁

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「文明が『有機体』でないことは生物学者がいちばんよく知っているだろう。生物学でいう有機体(生物体)は、時間と空間のうちにある一つの物質的実体であり統一体であって、別々に分かれた個体から構成されている社会的グループとはちがうものであり、幾世代もの人間と物質的生産物と制度と思想と価値などとから構成されている文明とはなおさら異なるものである」115頁

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「『合理性の原理』は大部分の人間的行為よりもむしろ動物の『合理性のない』行動にこそ当てはまる。動物や一般に生物体は『擬合理的(ratiomorphic)』に機能して、維持、満足、生存、等々のような価値を最大にする。一般に彼らは、自分にとって生物学的に良いものを選び、有用さ(たとえば食物)の少ないほうより多いほうをとる。
 これに対して人間の行動は、合理性の原理からだけではとても説明しきれない。人間において合理的行動の占める範囲がいかに小さいかを示すには、フロイトを引くまでもない。…すべての可能性と帰結をひとわたり調べるという合理的選択などしていない。…私たちの社会では、選択を不合理に<させる>のが、有力な一群の専門家たち——宣伝屋、動機研究家、等々——の仕事になっているが…これは本質的には、生物学的諸因子——条件反射、無意識衝動——をシンボル的な価値と結びつけることによってなされるのである」114頁

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「現代のシステム理論の光に照らせば、総体論的か分子論的か、法則定立的か個別記載的かというアプローチの二者択一に厳密な意味を与えることができる。集団〔群衆〕の動きに対してはシステム法則をあてはめることができて、それはもし数学化されうるならば…リチャードソンの用いたような微分方程式の形をとるだろう…これに対して個人の自由選択は、ゲームの理論や決定の理論の定式によって記述できるものであろう」113頁

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「私たちは多くの生物学的、人間的行動は効用とかホメオスタシスとか刺激ー反応とか原理を越えたものであること、そしてそれが実に人間の文化活動に特徴的なものであるという考えにいたるわけである。…
…行動とは単に生物学的衝動を満たし、心理的、社会的平衡を維持することではなく、何かそれ以上のものを含んでいる…心身的な生物体の自発活動性と曖昧に呼んでいる原理は実存主義者がしばしば空虚な言葉を使って言いたいと欲していることを、より現実的に定式化したものである」107頁

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