社会学と誤用進化論😅を中心に読書記録をしてをります(今は平井・落合・森本編『結婚とケア』2022年)背景写真はボルネオのジャングルで見た野生のメガネザルhttps://researchmap.jp/MasatoOnoue/
「『刀自』は女性の尊称であり、里の人々を差配する行政執行権をもった女性が存在したことを教えている… …清家章は、古墳時代前期には古墳の初葬者は男女の割合が拮抗していたが、中期以降は男性が65%と卓越したことを論じている。ここから父系化傾向はあったものの、小型墳には引き続いて女性被葬者もみられることから、双系的な社会が継続したと考察している」166頁
「古墳時代を人物造形の存否において分割すると、5世紀前半を境に二分される。3世紀中頃から5世紀前半までは人物造形が希薄な時代である。弥生時代の系譜をひいた男女造形は姿を消し、人物を表すこと自体が禁忌であったらしい」144頁
「<弥生時代の人物造形>… …男女ペア像の出現が指摘される。前代まで女性像に特化していたヒト形の造形に、男性像が加わるという点で画期を成すものである。設楽博己は…水田農耕における男女協業の成立をその背景に考える。… …設楽は、弥生時代において時期が下るごとに男性像と女性像の寸法が逆転し、男性像が大型化することを見出している。ここに、農耕社会における男性の社会的立場の強化が指摘される」141-2頁
「縄文時代には、男女ペアの人物造形は行われず、女性像は土偶、男性像は男性器をシンボル化した石棒に分化していた。…同じ縄文時代の焼き物に動物形土製品があるが、圧倒的に猪が多い。猪が多産の象徴であることも、土偶の意義と通底するものと理解される」140-1頁
若狭 徹「埴輪からみた古墳時代の男と女」137-210頁
「米田穣らの研究から、縄文時代、北海道や沖縄では海産物を多く利用していたが、本州では陸の動植物と魚介類を組み合わせた食生活を送っていたという地域差が明らかになっている」136頁
「五十嵐[由里子]は…北海道縄文遺跡では出生率が高く、女性の寿命が短く、九州弥生遺跡では出生率が低く、女性の寿命は長く、両者の男性については寿命の差がみとめられないというパターンの違いを明らかにした」135頁
「東アジアにみられる夫婦別姓は父系を重視する家父長制の産物であって、その抑圧からの解放を求め、韓国では父母両方の姓を名乗る女性も現れている」129頁
「一般的に、農業の発達に伴い生産性を高めるために水利などに男性が大きな役割を果たすことによって女性の地位が低下したといわれているが、[内田純子は]中国の農村では現代に至るまで男女が重労働による農業を協業しており、検討の余地があるとしている。そして、都市文明において、余剰を利用して社会が複雑化し、専業化が進むにつれ、専業化した社会活動を担う男性と生命維持活動を担う女性の分化によって、ジェンダー構造が大きく変化したとみている」127頁
「西周時代以降、完全に男性が文字を独占し、情報管理も担うことによって、政治や学問の世界から女性は隔離されてゆく。内田[純子]は文字の発明と情報管理の発達を、男性と女性の格差が急速に拡大した要因だとしている。… …占卜の内容から、殷代には女性が地方領主となったり、領地の管理をするなど政治的役割を果たしていたことが推測されている」126頁
「女性の土器作りは自家消費を主な目的とし、彼女たちは専業的ではないドメスティックな存在と考えられる傾向があるが、そうではない女性の土器の作り手も存在したと推測されることは、女性が男性の補助労働や家内労働のみに従事していたのではないことを示している」121頁
「布生産の多くの過程は弥生時代以降女性が担ってきたと考えられるのであるが、その労働の成果である布は調庸布として男性名で貢納され、女性の生産への寄与はみえにくくなっている」117頁
「古墳時代は双系的でありつつも中期後葉以降父系化が進むとする田中良之や清家章の考え」113頁
「寺沢[知子]は…[ヤマト王権の]『弛緩・混乱期』に女性首長や最高位の女性の果たした役割はしだいに消失していったととらえている」111頁
「伝統的な生活を営む人々の民族学的調査によって、典型的な離乳終了年齢は2ー3歳程度とされているが、蔦谷[匠]は縄文時代晩期で3歳6ヵ月、中世鎌倉の庶民で3歳10ヵ月、江戸時代前期の江戸の町人で3歳1ヵ月という離乳年齢を復元している…狩猟採集民より農耕民のほうが出生率が高くなったという仮説について疑問を呈している」106-7頁
「地域とその生業によって『性別役割分担』のあり方は異なる… …米田穣…外洋性漁業に勤しんでも釣果は芳しくないが、それでも、男性は外洋に向かい、女性は近場での食料獲得によって生活を支えていたという、何とも皮肉な解釈」105-6頁
「マードックの民族誌データからは、農耕・牧畜や金属器の利用が本格化する際に新たに登場した仕事を男性が中心的に担うようになり、生命の維持や再生産に関わる伝統的労働を女性に押し付けたという可能性も指摘されている。…縄文時代の象徴的遺物に対して、弥生時代の銅鐸絵画は記号的な表現になっており、性・ジェンダーについての考え方は縄文から弥生にかけて大きく変わったことがうかがえる」104頁
99頁 都出比呂志(1989)『日本農耕社会の成立過程』
菱田淳子「考古学からみる女の仕事、男の仕事」91-136頁
「女性天皇の場合は、既婚者も即位時に配偶者は生存していない。 …即位した時点では配偶者だった天皇は死去しており、独り身であった。そして、再婚して子どもを産むようなことはしない。その後に即位する天皇は、即位以前に誕生した子どもである… …女帝は既婚者であれ未婚者であれ即位時に独り身であることが特徴である。これは、基本的に男性天皇にはあてはまらない」88-9頁
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