「バダンテールに対するルークスらの反論のように、これ以前の時代にも他の時代でも、母親を含めた大人はしばしば子どもを可愛いと感じ、それなりに大切に世話をしたのではあったが、『母性愛』をこれほどまでに至上の感情として神秘化し、すべての女性に『本能』として強制するようになったのは、やはりこの時代以降だと言ってよかろう。『母』とは異なったかたちではあるが、今日的な『父』もまたこの頃誕生した。一家に対する支配を半ば公的な責務としていた『家父長』に替わって、ときには溺愛に陥りそうな感情をみずから抑制しなくてはならないほどの情緒的な『父』が登場する。『父』は鞭による教育を廃し、かわりに『母』と共に子どもの内面にまで目を届かせる精神的な統御を開始した」6-7頁
「マルクス主義フェミニズムは、ちょうど第三世界論に『コペルニクス的転回』をもたらした『従属理論(dependency theory)』と同じ役割を、女性論・家族論において果たしている」11頁
「ヨーロッパ的婚姻パターンの始期は必ずしも明らかとは言えないが、イングランドなどわずかな例外…を除いては、16、7世紀の北西欧…に出現した、とするのが現段階の一応の共通見解と考えていいだろう。その後19世紀には、それまで早婚だった南欧…、フィンランド、バルト諸国が同婚姻パターンの域内にはいって『レニングラードとトリエステを結ぶ線』…が境界となり、さらに20世紀初頭には東欧及びロシアでも婚姻率低下のきざしが見えた…
このようにして成立したヨーロッパ的婚姻パターンは、1930〜40年頃、全地域でほぼ一斉に崩壊する。すなわち早婚・皆婚化して婚姻率が急上昇する。興味深いことには1870年頃からこれもほぼ一斉に婚姻出生力が低下しはじめ、それが一応底をついたのが1930〜40年頃つまり婚姻率上昇の時期と一致するのだ」32頁
「戦後日本の家族社会学は集団論的パラダイムを精力的に導入した上に花開いたが、これは『近代家族の影』であると同時に、『アメリカの影』(加藤典洋)でもあったろう。
集団論的パラダイムは『近代家族の影』であった。では制度論的研究には近代家族は影を落としていないのかというと、事態ははるかに混み入ってはいるが、やはり落としていると答えねばなるまい。
…例えば近代家族を最高次の家族形態とする進化論ははっきりと近代家族イデオロギーを示したものだと言える。また、もっとややこしいことに、『社会化の第一次的な担い手である伝統を背負う家父長的な農村家族』を家族の理想とする保守主義者や改革者たちの観念にも、近代家族の影が忍び入っているようだ。子どもの養育を最も中心的な機能とする家族、暖かい[ママ]家族愛で包まれた家族という伝統のイメージは、実は近代家族の理念だからである」145-6頁
「フェミニズムでは、『家父長制(patriarchy)』という語を、女性の抑圧と男性支配一般を意味する概念に拡張して用いているが、この概念も人類と共に古いか、少なくとも階級抑圧より本源的であると通常理解されている。…
しかし、歴史社会学的考察はこの前提に異議を提出する。…女性の抑圧は、少なくともわれわれが思い浮かべるようなものとしては、近代固有の現象なのではないか」13頁