私は日本の批評嫌いについてはもうちょい絶望的な見方をしていて、
①人文学、特に文学への社会的な蔑視
②経済的、時間的な余裕のなさ(批評や鑑賞は本来消費ではなく咀嚼と昇華であるため社会的な余裕がないと成り立たない)
③感性重視の消費が推奨される風潮(「面白かった」が純粋で最高の鑑賞態度とされる)
④批判と中傷の区別を付けない風潮(政権からコンテンツまで、全肯定か叩く対象かに二分される)
⑤「推す」に含まれる無責任な肯定が省みられずに「推す」が推奨される
…という社会的で複合的な要因があると考えるので、批評行為と意義を教育に取り入れても批評はいつまでも軽んじられるんだろうな…と諦めているところがある。
文系の基礎研究もだけど、まず経済的な豊かさと時間的余裕が戻らない限りは批評行為も弱いままなんだろうな…人間って余裕がないときは感性での消費しか出来ないんじゃないかな…
Twitter は、単独だ。だからTwitterの話をすれば”概ね”話が通じる可能性が高い🤔。
だけど、Fediverse はさまざまだから、ここで通じる話が、あちらのサーバー、もしくは別なサービスでは”まるで通じない”話かもしれない?🤔。
と言う前提が通じない方が、多数いるような気がする。
これは、単独ではないゆえの、ある意味”欠点”なのかもしれない。
せめて、Twitter を”見限って”Fediverse 界隈に来た方は、”現状”を正しく認識できるよう変な偏りなしで周囲をよく見てほしいと思う。
僕自身偉そうなことは言えない身だけれど。
Twitter 憎しで、Fediverse に過剰な期待を抱いていないだろうか?。
特に Mastodon はTwitter に変わる天の甘露では”別に”無い。
その可能性はあるけれど、それは Mastodon によるものではなくて、あなた自身の心が生み出すものだと思う🤔。
それぞれのサービスは、それぞれに理由があって、なおかつ管理している方々によって維持されている。
と言うことを忘れてはならない、んじゃ無いかな?。
あと昨日久々にTwitterを巡回して思ったのは、独裁政権で暮らす人ってこんな感じじゃないかなということ。昨日のBAN祭りについて「さすがにやりすぎでは」という声も多かったけど、イーロンを擁護する声も多かった。「プライベートジェットを追跡するのはよくない」と。当然それがあれだけのBAN祭りをする理由にはならないのだけど。
イーロン信者はもとより、そうでない人も人は変化を嫌うので何だかんだ理由をつけて現状を肯定してしまうんじゃないかなって。
今回イチSNSでの話だけど、秘密警察や密告が横行するような独裁政権の国で、ある日突然隣の人が秘密警察に連れて行かれて帰ってこないという状況が起きても「政府に逆らうから」「政治活動なんかするから」「◯◯人だから」と連れて行かれた方に理由をつけるんだと思う。それでそれに該当しない自分たちは安全だと思い込もうとして「ささやかな日常」を守るんだと思う。
Twitterは「とりあえずめっちゃ人がいる(もちろん言うまでもなく、いない人はいない)」みたいな状況になってたし、だからこそ公共性の問題が浮上していたし、そこで切実なコミュニティ形成が行われていた部分もあった。やっぱり一時期のそういう状況はもう変化してしまっていて、自分の発信を担保するものそのものについて、改めて考えないといけない時期なんだろうなと思う。「2010年代」は(ようやく?)終わっ(てしまっ)た
Twitter利用者のMastodonへの流入ですが、主にMastodon公式アプリで新規アカウントを作成する際に選択するサーバリストにより、国内ではmstdn.jp、fedibird.com、vocalodon.netが候補に表示されるため、そこから選ばれることがほとんどです。
これは、MastodonひいてはFediverseに不慣れな人をひとまず受け入れる入口として設定されているものです。
mstdn.jpはカオスすぎる!
fedibird.comは汎用すぎる!
vocalodon.netはボカロ専門!
ということで、ここからが、どちらさまも本番ということになります。
Mastodonはわかったが、ミスマッチがある、より自分にあった場所を探している人をみつけて、情報を交換し、声をかけあって、いろんなサーバに誘導しましょう。
サーバーの情報源はいろいろありますが、まずは #サーバー紹介 というハッシュタグを辿ることをお勧めします。
これは、自薦・他薦のいずれもありますが、SNSの投稿による情報ですから生きた情報で、情報の鮮度が判断しやすく、踏み込んだ情報が得られます。
アイドル、音楽、二次元、馬など雑食過多 / 大量ブーストやRT注意・成人済