瑠亜 さんがブースト

>BT
そういや「自己責任」で帰ってきた人質を群衆の精神的リンチにかけたり、捕虜を放置して斬首させた国だった
上から下まで下には厳しく上には甘い

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秋元康のアカン系の歌詞って「夕やけニャンニャン」のプロデューサーに調教された結果らしいんで、秋元康がやらかしてたら「芸能界における性犯罪とTV局の関係」についてのジャニーズより露骨な事例になるかも。
twitter.com/yunishio/status/17

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井ノ原氏の"辞めて行った人間には才能がなかった“という発言の裏には"辞めなかった自分たち"への誇りみたいなものがあるんだろう。厳しい環境を耐え抜いたというような。
ものすごく間違ってるけど。
才能があったであろう人たちもひっくるめて性加害によって潰してしまった、というのが本当だろうな。
あそこに残ってるのはそこそこ芸の才能があり、更に性加害の蔓延したあの環境でうまく立ち回れる才能も併せ持っていた、というだけの人たちだと思うな。

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今の日本の転落加速度考えたら「日本人によるヘイトクライム」を心配してたと思ったら「日本人にへのヘイトクライム」が当たり前とかになってもおかしくないんだよね。

よく「日本もついにここまで」とかいうんだけど、それってある意味「日本って元はいい国だった」の消極的な確認でしょ。「ここがすごいぞニッポン」ならぬ「ここがひどくなかったぞニッポン」なわけで。

とっくに落ちてる、最初から所詮こんなもんなのを「昔はよかった」と確認するムーブとしても機能してしまって。

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例の事件。
故意だとして、その場合でも「漂白剤飲ませたらどうなるか」についてはちゃんとわかってなかっただろうし(下手すりゃ死ぬわけで、わかってたら普通はできない)、それができる状況=営業時間内に漂白剤溶液を使う作業を並行して行っていた、というような店の管理ルールの杜撰さがないと起き得ない。ちょっと考えにくい。逆に、ルールも曖昧な現場で研修不足の最低賃金アルバイト店員がどんなミスを犯したとしても不思議ではない、とは思う。

ただ、わさびテロなども何回か取り沙汰されていたし、日本における韓国ヘイトの酷さは韓国でも知られているだろうし、今回の件は直後の店の対応(当初無視、「ここで吐くと迷惑」という冷淡すぎる対応)もあり、やられた側が故意と感じてもそりゃそうだろう、とも思う。同じ立場なら私でも怒りをコントロールできる自信ない。

ミスだとすれば、ミスした店員は生きた心地しないだろな。そちらが気がかり。

とはいえ、「故意でやることは絶対あり得ない」ともいえないのが昨今の日本な訳で、「寒い時代」ですよね。なんとも。

Xが有料化するなら、もうここがつぶやきの拠点になるな。

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なんか見ちゃったので書くんですが、楽しいことを書く方が難しくて怒りを書くのはニュースをちょっと見れば出来るってなんなんですかね……大人ならちゃんと必要な時に怒らないとダメでしょ。怒るのはいつでもできるなんて思ってるうちに搾取され尽くして国にころされますよ。

怒らなくても生きていけるなんてきっと優雅なご職業なんでしょうね!わたしは怒って皆選挙に行ってください政治に参加してくださいって叫ばないと明日が不安で倒れそうです。楽しいことだけ書いてる人たちが何か変えてくれたんですか。誰が隣で苦しんでても楽しそうに見過ごしてきた人たちでしょ。

これだけ困窮してこれだけ貧困が増して政府が機能せず感染症からすら市民を守ろうとせず弱者を虐げる仕組みや差別を温存させる国で怒りを表明しない人を、わたしは疑うし信用しない。その態度はとても政治的で体制側に加担している。作り手なら心底軽蔑します。我々は怒るべきです。もっと怒るべき。

Xが疲れたら、こっちに移動するというツールになっている。元々は消滅とかバグに備えての避難所だったけど、今は心の避難所としての役割が大きい。

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1980年代末には宮崎勤の存在を通して「おたく」が問われ、この2020年代初頭にはジャニーズ性加害問題を通して「推し活」が問われている感がある。が、かつての「おたく」にしろ今現在の「推し活」にしろ、それらはそもそも私たちが立っている場所としての消費社会に必然的に生まれる在り方であり、少なくともぼくはそうした在り方と自分自身の振る舞いとの間に、決定的な切断線があるとは思えない(そもそも御守りとしてのサブカルチャーを手放す気すらないのだから)。
もちろんそのことそのものに「反省」と主体の捉え直しは必要ではあるわけだが、そこで(「おたく」に関する議論においてそうされたように)「推し活」に耽溺する人間のうち一部だけを切り捨てようとするなら、問題の本質を見誤ることになるのではないか。更に言えば、こうした状況のなかで、80年代以降の状況における「反省」の不可能性について、改めて考えざるを得なくなるだろう。「抵抗としての」が抜け落ちた「無反省」の問題のなかに、消費者としての私たちはいまだ強く捉われている。

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BT 日本での「推し」に当たる言葉として、韓国では「最愛」という言葉を使ってるよ。私の最愛は誰々ですとか、最愛がもうすぐ新曲リリースするとか、そんな風に使う。

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「推し」って「自分がその人やキャラクターのファンである対象」を指すのに便利なので使っちゃうけど、自分の好きかたを思うと、たぶん私はそのキャラクターを文字通り「推し」てるわけではないんだよな。しかしかといってそういう存在のことをなんて呼んだらいいかわかんないんだよね。何かあるっけ?
「私は〇〇のファン」「私は〇〇が一番好き」とかでいいのかもしれないけども…

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瑠亜 さんがブースト

今のSNSは、自分が「個」であると認めてもらうために「場」に「個」を一体化させるモーメントが非常に強い。本当は逆で、しっかり「個」でバラバラになって考えた上で、それを他の誰かの思考の材料としても使えるように、インターネットという「場」においておくイメージ。

瑠亜 さんがブースト

SNSの言葉、最初の頃はみんなが自分の言葉で語ってる感じがあって好きだったな。なかなか普段なら聞けない言葉が聞けて、多様な視点や現れがあることで惹きつけられた。けれども、今は言ってることが正しい正しくない以前に「人の言葉」で語る人が増えた印象。判で押したように、一斉に同じタイミングで同じような言葉を使って同じようなことを言い始める。どんな話題でもプロコンさせられるし、話題に乗らないと傍観者と罵られ、乗ると「対立」を実現しているプラットフォームの構造強化に使われる。

おさつバターフラペチーノ先行販売だったから、飲んでみたけど、芋けんぴは美味かったけど、全体的に甘いね😅いつも期間限定のフラペチーノは甘すぎて。もちろん当たりもあるけれども。

瑠亜 さんがブースト

「人権は思いやりや優しさの問題ではない」というのは一億パー正しいのだけど、それが「人権のためには思いやりや優しさを無くして死ぬまで問い詰めていい」みたいになってるケースを山ほど見たので、思いやりや優しさの価値を見直す必要があると前から思っている。
本来「優しさ」や「思いやり」には、糸井重里的なごまかしじゃない価値がきちんとあるはずだと私は信じている。

瑠亜 さんがブースト

ほんまにひどいな…
他の事もそうなんやけど、教えないことで歴史を改竄しようとしている。

小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定ryukyushimpo.jp/news/entry-168
「文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で、沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかった。いずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ。」

しっかし、向こうも末期としか言いようがないな…

瑠亜 さんがブースト

「差別に反対」と先に表明しておけば自身が差別者扱いされなくて済むだろうという打算で動くのみで肝心のあらゆる形態での差別には無関心な人、SNSの影響で増えた(ように見える)のではなく昔からそんな世界だったんだろうか。

例えば「トランス差別に反対です」とのスローガンも、自衛のためにしか使わず当のトランスジェンダーには無関心な人がいっぱいいるわけだけど。差別が存在する前に、それを被る客体がいるのだからそれを抜かしてはどうにもならない。

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