現在、労災補償の遺族年金は、受け取り手が妻である場合は年齢制限がないのに、夫は55歳以上でなければ支給されません。1965年に施行された法律が、男性が専業主婦と子を養うことを前提としているためです。
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ほんまにやばいと思う
#イスラエルのジェノサイドを止めるための請願署名
※ぼくの職場はホワイトで、管理職含めて年齢層が比較的若く、職種柄個人のプライベートに踏み込むことはタブーであるという周知がなされているため、目撃されたところでおそらく触れられないだろう、という信用がある。ただもしかしたら"政治的なこと"を忌避する人がいて「(無自覚含め)差別主義者がいるかもしれない」「個人的な関わり合いで疎まれるかもしれない」という点がぼくにとっての脅威であって、それほど致命的な結果にはならないという意味です。職場の人に見られる、知られることが社会生活における致命的な脅威になる人もいて、そういう人たちにとっての脅威を軽んじる意図はありません。
#イスラエルのジェノサイドを止めるための請願署名
会社からの帰り道で、今日は遅くなったからわたしの後に帰る人の方が少なかったと思うけど、ちょうど管理職たちが飲みだというのを羨ましがりながら見送ったあとだった。同じ方面へ、ぼくの後から来ているかもしれない。新宿駅前のスタンディングにいつも参加できないのも、職場が近いことがいつも懸念だった。でも、職場の人たちに見られたとして、ぼくにはなんの脅威ももたらされない※。安全な場所で安全に生きているぼくがそれを怖がっていたら、本当に何もできない。何より、目の前の勇敢な人たちを無視して帰ることはもうできなかった。みっともなく泣きながら2種類の紙に署名して、去り際、なんか違うな、もっと他に言葉あるよなと思いながら頑張ってくださいと言った。「頑張りましょう」と返されて、ああそうだと思いながら、頑張りましょう、と返した。
#イスラエルのジェノサイドを止めるための請願署名
ふと顔を上げたら、新宿駅の南口の前でパレスチナの国旗が二旗、高々とはためいていてどきっとした。スタンディングの人たちの声が聞こえて、まっすぐ近寄った。カフィーヤを身につけて署名のボードを持って立つ人に、ペンをもらうように手を出した。署名します、とか何か言ったかもしれない。何も言葉らしいことは言えていなかったかも。とにかく狼狽えていた。「もう一種類あります。これは与党用、あれは野党用」何人かボードを持って立つ人がいて、思わず「すごい」と言った。与党のみならず、ということが言いたかった。書きながらたまらず涙が溢れて、ペン先が震えた。「これくらいのことしかできなくて」情けなくて悔しくて。ペン先が震えた。「普段から何かされてるんじゃないですか」励ますように言ってもらって、ボイコットと、オンラインスタンディングくらいで、と答えながら、実のところぼくは怖かったんだと思う。
原田マハ『ジルヴェニーの食卓』を読み始めた。積んで間もなく手に取って読み始めたものの数ページで諦め、それをもう一回くらい挟んで今回、びっくりするほど面白くグイグイ読んで今日早速「うつくしい墓」を読み終えてしまった。やはり積み本は積むことで熟成されうまみが増すのだな……
今日は銀座は伊東屋へ行って、長年の憧れ、ペリカンのスーべレーン万年筆を買ってきた。高校か大学の頃、本当にはじめたてのインスタグラムでスーべレーンを見かけたのがきっかけで万年筆に興味を抱くようになって、手頃な価格で二、三本買って使ってきたけれど、30歳というひとつの節目に、思いきって手に入れた。直前まで他のものと悩んで悩んで、結局圧倒的な書き心地で購入を決定。たくさん使い込んで、これからのぼくの相棒になってもらいたいな。
あらゆる差別に反対している🏳️🌈shipper 20↑
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