原田マハ『ジルヴェニーの食卓』を読み始めた。積んで間もなく手に取って読み始めたものの数ページで諦め、それをもう一回くらい挟んで今回、びっくりするほど面白くグイグイ読んで今日早速「うつくしい墓」を読み終えてしまった。やはり積み本は積むことで熟成されうまみが増すのだな……
今日は銀座は伊東屋へ行って、長年の憧れ、ペリカンのスーべレーン万年筆を買ってきた。高校か大学の頃、本当にはじめたてのインスタグラムでスーべレーンを見かけたのがきっかけで万年筆に興味を抱くようになって、手頃な価格で二、三本買って使ってきたけれど、30歳というひとつの節目に、思いきって手に入れた。直前まで他のものと悩んで悩んで、結局圧倒的な書き心地で購入を決定。たくさん使い込んで、これからのぼくの相棒になってもらいたいな。
綴る余裕すらなくなっていたけど、資格試験(通算四つめ)完了しました✌️どうにかなっているといいなあ 残すは来月末!
他愛もない、天気の話 | A is for Asexual | 川野芽生
https://littlemore.co.jp/a-is-for-asexual/01
AロマやAセクあるあるな恐怖体験きた。
信じられないかもしれないけどこういう人ものすごくよくいる
あるノンバイナリーの自認
社会の中で強烈に「どちらでもない」と感じてノンバイナリーの自認を掲げるぼくと、身体の性別に違和を持たないぼくとでは、ずっと微妙な距離があった。身体の性別に違和を持たないぼく自身の輪郭がどこかぼんやりして、その距離感がぼくのアイデンティティの揺らぎでもあった。だけど今日ふと気がついたが、その「ふんわりした性別違和」の所在は、ヴァギナでも乳房でもなく、ぼくの子宮にあるんだと。子宮。こいつはなぜぼくの体にあるのか。見えないが月に五日は猛烈に存在を主張して、内側をずたずたに傷つけてただ循環してビリルビンとしてだけ排泄されてればいいはずの血液をバカみたいに垂れ流すこいつはなんなんだ。ヴァギナでもペニスでも外形はどうでもいい。この子宮、この臓器一つがぼくのアイデンティティを揺らしている。この臓器が生むのは資本主義の餌になる命ではなく、猛烈な理不尽に湧く痛みと苦しみと怒りと不平等だ。それがぼくのアイデンティティなんだと、何故か今日、風呂上がりにボクサーパンツを履きながら気づいた。
あるノンバイナリーの自認
ノンバイナリーを自認しているけれど性別違和をふんわりとしか抱いたことがなかった。ぼくにとって外形(乳房やヴァギナ)などは生まれた時に付随してきたもので、ぼく自身の認識でいえば極端にいうと髪が黒いとか目が二重とかその程度の意味しか持たない。社会的にはそれが「女」の記号とされているもので、ヴァギナを持つぼくが臑毛や腋毛をそのままにしているのは「女らしく」なく、体重にも体脂肪にも健康面で気にかける以上に関心はないことも全人類総シスヘテ痩身美人健常理想社会にとっての「女」には距離があることもわかっていた。ただその社会に適応する気はないし、ただ肉体的にはAとBの二種で区分される身体のうちのA、あるいは女であり、医療的な場面で女のラベルを使う・使われることに違和感はなかった。Aという振り分けの記号が「女」という三画の漢字で表されている限りは。
あらゆる差別に反対している🏳️🌈shipper 20↑
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