「俳句は終わっている」という言説もわからなくはないですが、「芸術」の「技術」はそっくり継承されず、誰でも一から磨くしかないという点から見れば、個人においては新しいところもあるので、まあ、そんなに簡単に終わらないかもしれませんね……。
今日は着る毛布とダウンのルームソックス。寒い……。
温めた牛乳120ccでポタージュスープの素をとかして、ヨーグルトを大匙2入れるというメイトーのレシピ、美味しい……。
#幻聴と闘う晩御飯
介護保険の介護報酬見直しによって、介護事業者の倒産が相次いでいる件、生活のセーフティネットを足元から揺るがして、多くの人が影響を受けるおおごとだと思うのですが、ことの大きさに比して取り上げられ方が小さいような気がするのは、気のせいでしょうか。
中高年男性が大勢を占める日本の意思決定層は、ケア領域は「他人事」なので、いつものごとく、自分が直面するまで、深刻さに気づかないのだろうと思っています。
「報酬引き下げに関わった当時の老健局幹部は「これほどまでに影響が広がるとは正直予想していなかった」と言葉少なに語った。」
厚労省が決めた訪問介護報酬減 背景にブラック霞が関が影響か
https://mainichi.jp/articles/20241118/k00/00m/040/072000c
さ、寝ましょう……。
眠れる方には良い夢を。
眠れない/眠らない方には安らかなときを。
大事な決断は深夜にしないで、明日に先送りしましょうね。
明日、あなたや私の尊厳が大切にされますように。
おやすみ、おやすみ。
また、明日!
「俳句と川柳と現代詩の違いって、"定型"とか"有季"以外にあるんですか?」とたまに聞かれます
あるっちゃある、ないっちゃない、みたいな微妙な話なのですが……。
基本的には発生の話で、和歌という伝統詩を茶化すために、いわば反-権威として「俳諧」は生まれたと思われます。貞門、談林を経て、松尾芭蕉が蕉風を打ちたて、「芸術」までに高まった。だけれど、後には月並化、陳腐化に転じていきます。
そして、明治になり、「俳諧」の発句は、正岡子規で「俳句」と近代化されます。子規は月並を嫌いました。伝統化された「俳諧」に対して、西洋の価値観を持ち込み、反-権威的に「俳句」が始まりました。
以下、私個人の考え方なのですが、この「反-権威性」を持っている「俳句」を「俳句らしいな」と感じます。主観的な滑稽から、一歩俯瞰的に眺めて、既存の価値観に対して「新味」を見出す。
もちろん、「俳句」の短からぬ歴史において、それだけではなく、さまざまな挑戦がありました。「現代詩」を「俳句」に持ち込む試みも数多くあり、西洋的なロマン主義もしっかり流れ込んできました。
また「現代川柳」とはポストモダンにおいて、網み合わさったのではと思います。
なので、「どれが俳句で、どれが川柳で、どれが現代詩なのか」は、現代においては、峻別ができないでしょう。
料理は割と趣味的に作っているのだけど、この時季は「毎日、鍋でもいい!!」と思う……。くたくたに煮えた白菜や白葱って、なんでこんなに美味しいの……?
#幻聴と闘う晩御飯
公益通報、兵庫県対応に違反疑いの指摘も 国は刑事罰導入に向け調整:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASSCM2R4WSCMUTFL00PM.html#continuehere
"今回で言えば斎藤氏を支持しなかった側は「ネットを規制すべきだ」と考えるし、逆に支持した人は「マスゴミは解体すべきだ」と考えるかもしれない。どちらも「自分以外の人はみんなバカなのでメディアを規制しないとまずい」と考える点では共通する" https://blog.szk.cc/2024/11/18/interpretation-compensates-for-anxiety/
俳人・岡田一実。俳句とか考えごととか。美味しかった話とか、読んだ本の記録とか、香水(主に量り売り)とか、旅のこととかいろいろ揺らぎつつ。幻聴があり、人生はだいたい徐行。リブ返しはちょっと苦手。体調によっては返せません。
HAIKU,for its own sake. she/they
句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024)。単著に『篠原梵の百句』(2024)。