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問題は、2ちゃんねる的なものが陽の当たる場所で活動できてしまっているということなので。かつては2ちゃんねる的な場所でしか大手を振ってできなかった振る舞いが、むしろメインストリームであるかのように存在できるのがTwitterなのだと思う。

これはどのSNSも同じなのだろうけど、そもそもミーム的なものが生成され、それがいろいろな物事に「雑に」応用できてしまう、その事象自体が2ちゃんねる的な気がするのだけど、どうなんだろうか。ウケのいい言葉、という器に物事をひょいと放り込んでいく感じ。そこには慎重さは不要であり、むしろある程度の粗雑さこそが必要とされる。

つまり「バズり」だ。「ウケる」ことを優先し、慎重になることを避けてしまうありかた。それを皆が無自覚に追求してしまっているのだから、マスクがいなくてもすでに2ちゃんねる的な掲示板文化は育まれていたのだろう。

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Twitter、いまはもう「これは言っておかねばならないな」ということだけ言いにいく場所に少なくとも個人アカウントはなっていて、お店アカウントのほうが問題だったりする。でもさすがにもうその時期は近づいているように思える。

とはいえ。とはいえである。

結局のところ、現時点ではTwitterがもはや2ちゃんねると化しているということに気がつかないまま使っている人が大多数であり、そうである以上そこにある程度関与をしていかないと「なんもわからんまま2ちゃんねる化した空気を吸い続ける」人がなんの抵抗もなく増え続けてしまう。となると、Twitterはもはやまともではない(使うべきではない)ということを周知させつつ、みなで徐々にソフトランディングしていかないといけない。だから、環境把握がうまくできている者のみがさらっと退避することには、どうしても恐ろしさを感じてしまう。

いっそのことマスクがもっとクソな環境(主にシステム面で)にしてくれれば、シンプルに「使いにくい」という理由でユーザーが離れてくれるので、むしろそのほうがいいのかもしれない。

『強制連行で連れてきた朝鮮人や中国人も同じく被爆しました』ってなんで言えないの?何か都合の悪いことでもあんの?

ありえない規模で仕入れっていう文面で笑っちゃったけど時々狂ったことするでおいうちされた 関心が高い方がいるんだろうか

新宿の紀伊国屋の仕入れ時々狂ったことするからな。(働いてたから知ってる。)

『トランスジェンダー入門』あと1週間はおそらく市場に在庫(重版)が出回らないのですが、都内にお住まいで、急ぎ必要な方は、丸の内オアゾ内の丸善か、新宿の紀伊国屋書店を利用してください。前者はおそらく主たる客層(ビジネスマン)とのズレにより、後者は書店員さんがあり得ない規模で仕入れてくださったことにより、いずれも店頭在庫が豊富にあります。

これはむしろ、私企業のサービスにタダ乗りして準インフラ化させちゃった行政側に責任がありそう。

〈Twitterより転載〉

 報道にある通り、立命先端研の教員、立岩真也さんが亡くなりました。厄介な病気とは知りつつ、何日か前まで普通にメールもあり、本人もずっと戻ってくる気でいたと思うので、この事実を受け止めかねています。
 2006年、医療訴訟と生活を両立させるために、先輩に勧められて立岩さんに会いました。だから彼を研究者として評価するとか学問への憧れということとは距離があり、ただ助成金書類を書いて食い繋いだり、危ない精神状況のときに話を聞いてもらったりすることに関して世話になっていました。本当に変な人でしたが、立岩さんも私を変人だと思っていました。だからこそ先端研で博論を書くことができたし、激しい浮き沈みの中で本を出すこともできました。
 まだ思い出を語るような段階ではありません。立岩さんに関するURLを置いておくので、その人となりに触れてもらえると私も嬉しいです。

・カライモ学校 吉野靫×立岩真也
『誰かの理想を生きられはしない 
とり残された者のためのトランスジェンダー史』刊行記念トーク
arsvi.com/2020/20201103yy.htm

・東京大学REDDY連載「生活するトランスジェンダー」第8回「悩みはいばらのように降りそそぐ」
reddy.e.u-tokyo.ac.jp/act/essa

「俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。
記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももうほとんど忘れ去られている。
78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。
あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。
それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。
それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。
自分ごときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ。」

anond.hatelabo.jp/202308011407

そういうなんか話を聞いてくれないし話し合いもせずに否定するようなのが人格の否定受けてたっていうならそうなんだけどそういうのはカウンセラーにも指摘されたんでそうだとは思うんすけど

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たまに父親くらいの年齢の男性が苦手なのかもしれないな〜とふんわり思うことがあって、いやなんか普通に話をするくらいとか上司でも基本的には大丈夫なんだけど、父親にされて嫌だったのと似たような態度を取られるとことさらに言葉が出てこなくなるみたいなときはあるきがするな、とぼんやり思ってたりした だいたいなんか、子供が何言ってんだ世間のこと知らないくせに、みたいな

ハロワの登録行ったときに性別欄記入しないにチェック入れたのに登録情報に女て入れられたの見て窓口担当が年配の男性だったからちゃんとみてや〜!て思ったのとなんかもうはぁいいどすみたいな気持ちが一気にきたのをいま思い出すなどしました

おサブ育てよと思ったのに何もしないで一日床に落ちてる ぱおんしかしてない

自分がやってることって自分が「出来ること」だからやらないではなく「出来ない」人のことを考えないといけないというのはある(脊髄反射自戒)

でもなんだろう、検索するとか調べるっていう行為自体に馴染んでないとかそういうのが苦手とか教育を受けられなかった人とかは自分から能動的に検索して比較判断するという行為自体から取りこぼされていくんだよな…という葛藤?何?もある
爆発的に最新情報を得られるという点でTwitterは強かったてのはほんとにあるからな

いやなんか大学生〜社会人なってちょっとくらいまでは本めちゃくちゃ読んでたんだけど一時期からほんっとに体力と勢いがあるときじゃないと読めなくなったんでこれはやばいんやろなとは思ってました ええ やれてたことがやれなくなった時点でやばいと思うべきでした それはそうとして積読は増えるんですが

学び続けて批判しなければならないのだ 体力があるときに(うつ病芸人)

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でもやっぱりTwitterでアジア諸国のフォロワーさんが増えるとほんとに自分のとくに近現代日本への歴史認識や批判は大丈夫だろうかと思うことは多い
そう思えるのは自分に認識があるからこそであるとは思うけど常に自信はないよな

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