訂正と補足)
ディエン・ビエン・フーの陥落は1954年、この年、仏、米国・ソ連・中国も参加したジュネーヴ協定において、北ベトナム側は中ソの圧力に最終的に譲歩して協定に調印。
すでにこの段階では、米と中ソの地球スケールの「冷戦」の論理に植民地解放のベクトルは歪められつつありました。
米国との正面衝突を避けたい中ソの圧力で、ベトナム政府軍はすでに国土の大部分を制圧していましたが、北緯17度線まで撤退。
しかも、この合意を米国は土壇場で調印拒否。つまり最初から南の傀儡政権を支援して、「北」を倒す腹積もりだった。協定で定められた統一選挙も拒否(「北」が勝つのがわかっていたため)。
しかし、南ベトナム政府は、米軍の膨大な軍事援助にも関わらず劣勢となり、ついに米国は1964年トンキン湾事件をでっち上げて直接介入を開始、最大時55万人の地上軍を派遣。また「北爆」には、B52が嘉手納から出動します。
そしてインドネシアの「血のクーデター」が1965年です。まさに「グローバル冷戦」ドミノです。その上、この頃から中ソ対立が激化、ベトナム政府は間に挟まれて苦境に陥ります。
しかし1975年、ついにベトナムは統一されました。
下画像『ベトナムから遠く離れて』(ゴダール、K.マルケルなど)
訂正と補足
C.マルケル(正)、『ベトナムから遠く離れて』には、他にアラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、クロード・ルルーシュなどが参加。製作はマルケルが担当。