朝鮮学校処遇の変遷にみる「排除/同化」
―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として
韓東賢
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/96/0/96_109/_pdf
ハントンヒョンさんによるこの論文、落ち着いて読んでみる。
2010年から始まった高校無償化対象から除外する、だけではなく、日本という国が朝鮮学校という民族学校を戦後から一貫して不当に弾圧してきたという経緯がこれでもかと読み込める。
”ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。”
”1990~2000年代以降,欧米各国でヘイトスピーチやヘイトクライムが目立つようになり,移民・外国人に対する排外主義的な政策を掲げる極右政党が支持を拡大するなかで,多文化主義の限界や敗北,そのバックラッシュとしてのレイシズムへの回帰や新しいレイシズムの登場が議論されるようになった背景を,包摂型社会から排除型社会への移行として説明しているのだ。”
”さて日本ではどうか。敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイション(Smith…訳書,1998,Brubaker…訳書,2005)⑴として再出発した日本では,とくに外国人においては上記のような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。一般的に外国人・移民政策は,外国人の出入国に関する政策と在住外国人の社会統合に関する政策の二本立てだが,日本においてはいまだに前者しかない。これは,国として多文化主義が政策化されたことがないということを意味する。2000年代に入り,少子高齢化の進展による人口減少への備え,またグローバリゼーションへの対応や東アジア地域統合の観点から新たな外国人政策への模索が始まったものの,あっという間に忘却された。それどころか近年では欧米同様,政府レベルでも大衆レベルでも,目に見えるかたちの排外主義が横行している。”