朝鮮学校処遇の変遷にみる「排除/同化」
―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として
韓東賢

jstage.jst.go.jp/article/eds/9

ハントンヒョンさんによるこの論文、落ち着いて読んでみる。
2010年から始まった高校無償化対象から除外する、だけではなく、日本という国が朝鮮学校という民族学校を戦後から一貫して不当に弾圧してきたという経緯がこれでもかと読み込める。

日本で差別に反対する全ての人々はこの論文に目を通しておく必要があるかと思いますよ。

以下、同論文で参考になった個所をいくつかコピペしてゆく。

”ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。”

”本稿ではこうした流れを,朝鮮学校の制度的位置づけ,処遇問題からあとづけていく。そこから見えてきたものは次の3点であると言える。①仮に戦後の日本がヤングのいう意味での包摂型社会だったとしても,その基調は同化と結合ではなく,「排除/同化」――排除と同化の二者択一を迫るもの――であった。② 2000年代には,このような「排除/同化」の基調を引き継ぎながら,にもかかわらず,「多文化主義へのバックラッシュ」としての排除を露骨化,先鋭化させた排除型社会になった。③そのような「排除/同化」,また2000年代以降の排除の露骨化,先鋭化において,朝鮮学校の処遇はつねにその先鞭,象徴だった。”

”本特集のテーマは教育における「排除と包摂」である。まず,ここで筆者が述べておきたいのは,とくにここ日本社会で,そして本稿で取り扱う朝鮮学校の問題,ひろくは在日外国人の問題を考えるうえで,そもそも「排除と包摂」は二項対立的にすっきりと並置できるような対概念ではないということだ。おそらくそのねじれの原因は,日本における「同化」の位置づけにある。”

”ヤングによると,包摂型社会は,近代的な同化主義を経て多文化主義という処方箋を生み出したが,移民の増加と社会秩序の解体による不安により「他者」をリスクとみなして排除する傾向が強まり,多文化主義は敗北を余儀なくされるとともに,そのパラドクスでもある本質主義が台頭する。「他者」のスケープゴート化と偏在化が進み,レイシズムは人種的なものから文化的なものへと変化し,「他者」を作り出し忌み嫌うことによってマジョリティの共同体意識を強める,いわばゼノフォビアとしてのナショナリズムが台頭する。”

”1990~2000年代以降,欧米各国でヘイトスピーチやヘイトクライムが目立つようになり,移民・外国人に対する排外主義的な政策を掲げる極右政党が支持を拡大するなかで,多文化主義の限界や敗北,そのバックラッシュとしてのレイシズムへの回帰や新しいレイシズムの登場が議論されるようになった背景を,包摂型社会から排除型社会への移行として説明しているのだ。”

”さて日本ではどうか。敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイション(Smith…訳書,1998,Brubaker…訳書,2005)⑴として再出発した日本では,とくに外国人においては上記のような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。一般的に外国人・移民政策は,外国人の出入国に関する政策と在住外国人の社会統合に関する政策の二本立てだが,日本においてはいまだに前者しかない。これは,国として多文化主義が政策化されたことがないということを意味する。2000年代に入り,少子高齢化の進展による人口減少への備え,またグローバリゼーションへの対応や東アジア地域統合の観点から新たな外国人政策への模索が始まったものの,あっという間に忘却された。それどころか近年では欧米同様,政府レベルでも大衆レベルでも,目に見えるかたちの排外主義が横行している。”

”この状況を,どのように考えればいいだろうか。もちろん,表面的には2000年代末からの不況のあおりもある。だが,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化が進行しているとみなすことができるのではないだろうか。ただし,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのため,そこにおける近代的な同化主義への処方箋として登場した多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ(韓 2014)。”

”欧米型のシビック・ネイション(Smith…訳書,1998,Brubaker…訳書,2005)における社会統合は,多文化主義的な段階に先立ち同化主義的な段階を経由してきた。だからこそ,そのような国々を念頭においたヤングの議論は「同化」を「包摂型社会」の構成要素としていた。だが戦後,厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本における「同化」は,社会統合への理念なく,排除か同化の二者択一を迫るようなかたちで,より正確に言うと排除することで同化へと追いやるようなかたちで政策化され,その処方箋としての多文化主義をもたらさなかった。”

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”このように戦後日本の外国人政策――それはインドシナ難民を受け入れ難民条約に加入する1980年代までは在日朝鮮人政策とほぼ同義だった――は,外国人にとっては排除と同化の二択を迫るものであり続けた。先の枠組に沿って社会の変化をあとづけるとすれば,包摂型から排除型への変化は起こったかもしれないが,前者における包摂はヤングの議論からすればいびつなものであり,その意味で,前者も後者も「排除か同化かの二者択一」が基調になっているのは変わらない(以下,こうした基調を「排除/同化」と表記する)。その変化は,後者において排除がより露骨に,先鋭化するというかたちで表れているように見える。”

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