で、何年もヘイトスピーチ、だけでなく差別的な環境に晒されながら生きてきた私がヘイトカウンターの真似事みたいな事をやりだしたのも、根本にはこの無自覚な差別への怒りがあります。
これに長年苦しんできたのだ、という。
しかしこれは、己を翻ってみれば、たぶんにミソジェニスティックであり、ジェンダーの多様性に不寛容であり、どことなく東南アジアの方々をうっすらと下に見ている、醜い醜い己自身を発見するわけです。
https://twitter.com/upasampada/status/996568348702818304
過去の私もつらつらと書いてはいるが、さて...
なので私にとって差別に反対するということは、究極的には己との闘いみたいな感じであり。
まあでもそういう修行僧みたいなのを全員に求めるのも酷というかムリな話であり。