ダンマパダアッタカター(注釈)になりますが、
https://www.tipitaka.net/tipitaka/dhp/verseload.php?verse=216
これは私が初期に知って惹きつけられたストーリーですね。
片山一良先生の和訳があるので、打ってみましょう。
渇愛により憂いが生じ
渇愛により恐れが生じる
渇愛を離れている者に
憂いはありえず、況や恐れは
この法は、仏が、ジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、あるバラモンについて説かれたものである。
伝えによれば、彼は邪見を持つ者で、ある日、川岸へ行き、畑を掃除していた。仏は彼の機根が熟していることをご覧になり、彼のもとに趣かれた。かれは仏を見ても敬意を払わず、黙っていた。そこで、仏は彼に話しかけられた。「バラモンよ、何をしているのですか」と。「畑を掃除しております、ゴータマ尊よ」と。仏はそのまま立ち去られた。翌日以降もかれのもとに趣き、同じように尋ね、「畑を耕しております」「種を播いております」などと聞くと、立ち去られた。ある日、バラモンは言った。「ゴータマ尊よ、穀物が実れば、あなたにもお分けしましょう。今日からあなたは私の友人です」と。やがて穀物が実り、かれは刈り入れの準備をした。が、その夜、大雨が降り、すべての穀物は流されてしまった。彼は何もない土地を見て愕然とした。約束も果しえず、言いようのない悲しみに襲われ、床に臥してしまった。仏は彼を訪ね、「渇愛によって悲しみが生じるのです」と懇切に教えを説き、この偈を唱えられた。説法の終わりに、彼は預流果を得たという。これが法句二一六の因縁話である。
ん、上のウダーイーさんの話に戻りますが、私もウダーイーと覚えてながら何ですが、パーリ文でもudāyīなんですな。
でもこれだと女性形なのでは。
稀代の不良比丘ウダーイー、実は女性だった?
いやそんなバカな。
まあ独り言です。