思ったのは、まあ当たり前の話ですが、心の満たされない漢字を小説や映画が少し埋めてくれるものがあるような感じで、パーリ三蔵でも大乗のアーガマでもタルムードでも新約聖書でもクルアーンでもヴェーダ文献でも空飛ぶスパゲッティモンスターの福音書でも、そういうものが長い間心の支えとなったのは、そういう側面はあるのかなと。

実際、パーリ仏典のストーリーは結構面白いのが多いのです。

色々と思いつくのですが、例えばヴィナヤ(律蔵)のKayasamssagga、比丘が女人の体に触れる戒律違反、というルールができた背景を事細かに語っていて。
ちょっとうろ覚えなのですが、カールダーイーという不良のお坊さんがいて、そのカールダーイーが旦那さんと一緒にいた奥さんの体を後ろからいかがわしく触り、恥じた奥さんが何も言えないでいると調子に乗ったカールダーイーが触りまくって旦那にバレ、お釈迦さんに苦情を言いに行ったことで戒律が制定されるとか、そういうくだらない故事まで記されていまして。
読み物としても面白いのです。

まあ、これが心の満たされない所を満たしてくれるかどうかは別にしてですね

ダンマパダアッタカター(注釈)になりますが、
tipitaka.net/tipitaka/dhp/vers
これは私が初期に知って惹きつけられたストーリーですね。
片山一良先生の和訳があるので、打ってみましょう。

フォロー

渇愛により憂いが生じ
渇愛により恐れが生じる
渇愛を離れている者に
憂いはありえず、況や恐れは

この法は、仏が、ジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、あるバラモンについて説かれたものである。
伝えによれば、彼は邪見を持つ者で、ある日、川岸へ行き、畑を掃除していた。仏は彼の機根が熟していることをご覧になり、彼のもとに趣かれた。かれは仏を見ても敬意を払わず、黙っていた。そこで、仏は彼に話しかけられた。「バラモンよ、何をしているのですか」と。「畑を掃除しております、ゴータマ尊よ」と。仏はそのまま立ち去られた。翌日以降もかれのもとに趣き、同じように尋ね、「畑を耕しております」「種を播いております」などと聞くと、立ち去られた。ある日、バラモンは言った。「ゴータマ尊よ、穀物が実れば、あなたにもお分けしましょう。今日からあなたは私の友人です」と。やがて穀物が実り、かれは刈り入れの準備をした。が、その夜、大雨が降り、すべての穀物は流されてしまった。彼は何もない土地を見て愕然とした。約束も果しえず、言いようのない悲しみに襲われ、床に臥してしまった。仏は彼を訪ね、「渇愛によって悲しみが生じるのです」と懇切に教えを説き、この偈を唱えられた。説法の終わりに、彼は預流果を得たという。これが法句二一六の因縁話である。

Sādhu Sādhu Sādhu.

お釈迦様が友達とか、いいよなあ、と。
悲しくてどうしようもなくて床に臥せっていても、お釈迦様が悟らせてくれるなんて最高じゃないすか。

ん、上のウダーイーさんの話に戻りますが、私もウダーイーと覚えてながら何ですが、パーリ文でもudāyīなんですな。
でもこれだと女性形なのでは。
稀代の不良比丘ウダーイー、実は女性だった?
いやそんなバカな。

まあ独り言です。


確かに。でもお釈迦様の悟りを理解するのは凡人には難しく、私なぞお釈迦様に呆れられてしまいそうです(笑)
「Sādhu」はぜんざいの語源なのですね!これからぜんざいをいただく時は「お釈迦様が善哉と仰った食べ物だ」と思い出します。

@ruriazami
お釈迦様の教えは我々普通の人には理解しがたいものですからね。
断片だけでも何かしら響くものがあったのであれば幸いです。

ちなみにSadhux3はお唱えごとやお布施などの後の最後の決まり文句というか、そんな感じのものです。
意味としては色々あるのですが、ここでは仰るように善哉、よきかな、というほどの意味ですね。


Sādhu Sādhu Sādhu.は修行者、素晴らしい、の他にどんな意味を持つのでしょう。お唱えの最後ならキリスト教の祝福をと言ったニュアンスになるのでしょうか。
知りたがりなのです😅

@ruriazami

大歓迎です。
とは言ったものの、私の知識不足で下手があってはいけませんので pali text society その他の辞書を引用させていただくと、リンクのようになっています。
パーリとサンスクリットでは微妙に意味も違ってきますので。

dictionary.sutta.org/browse/s/

ミャンマーの僧院や仏教徒の間では、自分や他の人が善い行いをした際に、よいことをしたと喜ぶ、また随喜する際に、日常的に用いていました。

@ruriazami ざっくり言ってしまうと、キリスト教徒のアーメンとほぼ同じ意味合いで用いてよろしいのではないかと。


ありがとうございます😊色んな使い方があって楽しいですねぇ。
善い行いをした時に気軽に言える言葉が日本社会にあればよいのにと思います。

@ruriazami
仰る通りですね。
言われて思い出しましたが、ミャンマーは国別人助けランキングNo.1だったのです。
クーデター後色々あり…それでも上位です。
それに対し、日本は最下位という。

cafonline.org/about-us/publica


うう…辛いですね…。我々は見せかけの平和の上で過ごしていると再確認させられます。
私は日本生まれ日本国籍でその点ではマジョリティなのですが、なんという社会にしてしまったのだろうと頭を抱えています😓
お互いを讃える言葉がないことも、謙遜文化はあまり良いものではなかったと思いました。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。