ダンマパダアッタカター(注釈)になりますが、
https://www.tipitaka.net/tipitaka/dhp/verseload.php?verse=216
これは私が初期に知って惹きつけられたストーリーですね。
片山一良先生の和訳があるので、打ってみましょう。
Sādhu Sādhu Sādhu.
お釈迦様が友達とか、いいよなあ、と。
悲しくてどうしようもなくて床に臥せっていても、お釈迦様が悟らせてくれるなんて最高じゃないすか。
@upasampada
確かに。でもお釈迦様の悟りを理解するのは凡人には難しく、私なぞお釈迦様に呆れられてしまいそうです(笑)
「Sādhu」はぜんざいの語源なのですね!これからぜんざいをいただく時は「お釈迦様が善哉と仰った食べ物だ」と思い出します。
@ruriazami
お釈迦様の教えは我々普通の人には理解しがたいものですからね。
断片だけでも何かしら響くものがあったのであれば幸いです。
ちなみにSadhux3はお唱えごとやお布施などの後の最後の決まり文句というか、そんな感じのものです。
意味としては色々あるのですが、ここでは仰るように善哉、よきかな、というほどの意味ですね。
@upasampada
Sādhu Sādhu Sādhu.は修行者、素晴らしい、の他にどんな意味を持つのでしょう。お唱えの最後ならキリスト教の祝福をと言ったニュアンスになるのでしょうか。
知りたがりなのです😅
大歓迎です。
とは言ったものの、私の知識不足で下手があってはいけませんので pali text society その他の辞書を引用させていただくと、リンクのようになっています。
パーリとサンスクリットでは微妙に意味も違ってきますので。
https://dictionary.sutta.org/browse/s/sādhu/
ミャンマーの僧院や仏教徒の間では、自分や他の人が善い行いをした際に、よいことをしたと喜ぶ、また随喜する際に、日常的に用いていました。
@ruriazami ざっくり言ってしまうと、キリスト教徒のアーメンとほぼ同じ意味合いで用いてよろしいのではないかと。
@upasampada
ありがとうございます😊色んな使い方があって楽しいですねぇ。
善い行いをした時に気軽に言える言葉が日本社会にあればよいのにと思います。
@ruriazami
仰る通りですね。
言われて思い出しましたが、ミャンマーは国別人助けランキングNo.1だったのです。
クーデター後色々あり…それでも上位です。
それに対し、日本は最下位という。
https://www.cafonline.org/about-us/publications/2022-publications/caf-world-giving-index-2022
@upasampada
うう…辛いですね…。我々は見せかけの平和の上で過ごしていると再確認させられます。
私は日本生まれ日本国籍でその点ではマジョリティなのですが、なんという社会にしてしまったのだろうと頭を抱えています😓
お互いを讃える言葉がないことも、謙遜文化はあまり良いものではなかったと思いました。
ん、上のウダーイーさんの話に戻りますが、私もウダーイーと覚えてながら何ですが、パーリ文でもudāyīなんですな。
でもこれだと女性形なのでは。
稀代の不良比丘ウダーイー、実は女性だった?
いやそんなバカな。
まあ独り言です。