差別問題を色々と学んでいるところですが、結局は「私は無自覚でいると差別してしまう存在である」という自覚を常に持ち続けるということであり、でもまあまあ難しいというかほぼムリなので、せめて自覚を怠らぬようにしたいですよね、という。
やあ、親愛なる白い人たち。聞いてくれ。
黒い人たち、先に住んでる人たち、もしくはほかの色をもってる人たちは、このサイトでは君たちが少しでもマシなレイシストになる方法や、レイシズムを理解する方法、または彼らの差別の経験を君たちに理解してもらうために存在するのではないんだ。
彼らはあなたに説明、謝罪、または教育を授ける義務はない。
彼らにはあなたと一緒にテーブルに座る義務もない。
また彼らにはあなたに対する友情、会話、あるいは承認する義務さえも負っていないんだ。
よくわからないのなら、それはあなたがもっと学ぶ必要があるということなんだ。
QT: https://wandering.shop/@erinfulmer/109472941791774773 [参照]
渇愛により憂いが生じ
渇愛により恐れが生じる
渇愛を離れている者に
憂いはありえず、況や恐れは
この法は、仏が、ジェータ林(祇園精舎)に住んでおられたとき、あるバラモンについて説かれたものである。
伝えによれば、彼は邪見を持つ者で、ある日、川岸へ行き、畑を掃除していた。仏は彼の機根が熟していることをご覧になり、彼のもとに趣かれた。かれは仏を見ても敬意を払わず、黙っていた。そこで、仏は彼に話しかけられた。「バラモンよ、何をしているのですか」と。「畑を掃除しております、ゴータマ尊よ」と。仏はそのまま立ち去られた。翌日以降もかれのもとに趣き、同じように尋ね、「畑を耕しております」「種を播いております」などと聞くと、立ち去られた。ある日、バラモンは言った。「ゴータマ尊よ、穀物が実れば、あなたにもお分けしましょう。今日からあなたは私の友人です」と。やがて穀物が実り、かれは刈り入れの準備をした。が、その夜、大雨が降り、すべての穀物は流されてしまった。彼は何もない土地を見て愕然とした。約束も果しえず、言いようのない悲しみに襲われ、床に臥してしまった。仏は彼を訪ね、「渇愛によって悲しみが生じるのです」と懇切に教えを説き、この偈を唱えられた。説法の終わりに、彼は預流果を得たという。これが法句二一六の因縁話である。
うちのトマトはサルにやられた
농민들 트랙터 상경 시위…서울 진입 막은 경찰과 충돌 [MBN 뉴스센터]
https://www.youtube.com/watch?v=QsTHo9KH564&feature=youtu.be
警察のバス押すトラクターVSガラスを叩き割って鎮圧する警察
‘No concern for Palestinian suffering’: Ex-official slams US’s Gaza policy
https://www.aljazeera.com/news/2024/12/21/no-concern-for-palestinian-suffering-ex-official-slams-uss-gaza-policy?utm_source=flipboard&utm_medium=activitypub
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အပြည်ပြည်ဆုံင်ရာထေရဝါဒဗုဒဓသာသနာပြုတကကသုံလ် မှာ ဗုဒဓစာပေလေလာနေပါတယ်။ 밀성박씨감헌공파삼십일세. Sabbe sattā bhavantu sukhitattā.