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『悪役令嬢の中の人』も「ミリオタリアリストは真心の人」でだいたい読み解けるな……。悪役令嬢の中の人と、『聖女クソオブイヤーっ』て同じで、「善行をするためにやたら盛大なリアリスト言い訳をする」が共通点。お前らどっちも真心善行やりたいだけなのに露悪ガワを好むという歪みの方がきもいよと思ってる。「みんな善行に気を取られるけど私は実は露悪なんですわよ〜」みたいな自意識をキープせずにいられないというこれはなんなんだろう。「承認されたいけど、善人であると期待されるとうざいからフリーハンドの余地を残して主観的自由を得る」みたいな手続きを感じる

露悪リアリズムが「主体性」の代用みたいになってるよなあと思う。なんである種の人間が露悪ですわよ仮面を好むのかと思っていたが、文学的ペルソナだからだろう。「主体性」発露の形式になっている

あー、『中の人』読み返してわかってきた。いちいちほくそ笑んだり本音をモノローグで語るような悪女身振りや露悪の仮面は心を守るための鎧なんだな。対人的なインターフェース。不信ベースでコミュニケーションをする際のガワか。善性をめにみえるようにすると「隙になる」という不信ベースでの発想が核心だわ。

最初に『中の人』を読んだ時にも思ったけど「信仰する自己」の変形的な導入なので、普遍宗教のない日本は露悪気取りこそが実質的な信仰なのかもなあ。善行で称賛もされたいけど、エゴ剥き出しプレイしてストレス発散もしたいでーす、の一挙両得狙いの結果にも思える。

聖女お花畑ミームって、実際には「聖女をお花畑扱いし、醜悪化させることで、(しばしば同レベルの)悪役令嬢の方の臭みを消す工夫」になっている。お花畑嘲笑は、「お花畑平和主義から俺たち維新が目覚めさせる」という維新的右派がデフォルト化した想像力の産物なんだろう。

あ、そうそう。『悪役令嬢の中の人』仕掛け(エミ/レミリア入れ替わり)を少年誌対応させるとサンデーの『タタリ』になるんだよな。こういう善人/憎悪の化身の使い分けってけっこう広く展開してるよなー、と。いろんなところで目にする。
x.com/sunday_promo/status/1846

私がミリオタリアリズム言説を標的に据えているのは、「なろうよりエンタメ小説の方が偉大です」勢の大半がミリオタリアリズムに引っかかるか、清潔感に依拠して回避するかぐらいしかできない限界を抱えているとわかったからで、それならこの勢力はなろうと同一視でいいし、いっそ地獄の底を念入りに点検した方が打開策を作れる、と作戦を組むことにしたため。

また、上記勢力と「日本近代文学の方が偉大です」勢、「シネフィル知の方が偉大です」勢、「海外文学のほうが偉大です」勢も大差なくて、リアリズム言説のフレーバーをかぶせるとだいたい引っかかる。既存勢力の大半はオーセンティシティの宝の中身が違うだけでほぼ同列の水準。

『中の人』の主人公憎悪表情は数回「天野喜孝きたー」だった。こういう、顔への没入+いやいや没入なんかしてませんよ、の自意識って、なろうのタチの悪い悪ふざけの行為とそれへの共感がとりまいているんだが、それをイメージの関係にうまく落とし込んで形象化している。

一人でイマジネーションの相当物をこしらえているので、好きな作品じゃないけど作画担当は相当マンガがうまいなと。

結局、こういうのを大好きな連中が結局なろう支持層なんだろうなあと。

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