先日はグロイス『流れのなかで』第三章「アートアクティビズムについて」を読んだ。

モダニズム以前のアートを宗教と権力を縁取る美的なデザイン、モダニズム以降をカント的無関心性に集約して、その両極がアートアクティビズムに渦巻いている、がゆえにポテンシャルもあるかもね、という論。無関心は一見して脱政治性の根拠だが、もう一度捻る。

その前の2章と共通して「ベンヤミンが愛読されたのはユーロコミュニズム論壇であって、今見ると耐用年数すぎてね?」っぽい見立てがある。ついでにトロツキーもけっこうまずいのでは?という留保がうかがえる。ユダヤ枠で一括してるのかもしれない。

過去の保存・歴史化という局面でおもろいのは、カント的無関心を、過去の歴史をミイラとして晒す手口みたいに語ってるところ。「キャンセル(過去の文化史からの抹消)ではなく晒し首として残す」という筋立てに転用できそう。カントの判断力批判の一節を引いて、無関心性を宮殿を王侯貴族のものではなく形式的に見ることとしているんだけど、じゃあ脱政治化なのかというと、王族的なものをより徹底したかたちで殺す手口であり、フランス革命の所産なのだ、とする。こういうふうに脱政治性の政治性を考える。

モダニズムが終わって芸術と権力の時代に逆戻り、の時代にあって、モダニズム的無関心性を政治的ポテンシャルとして再読してるようなのがおもろい。こういうグロイスの面白さってロシア学の連中もあんまりピンときてなさそう。

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柄谷の受けとグロイスの受けは似てるんだろうな。構図の明快さを、おおー、明快だが漏れおちるものも多そう、とわかった上で読む感じが似てる。問題は、柄谷読者はそこまで成熟しなかった、というか「柄谷道」みたいなものが作られて退屈なものになった。

どの国でも母国の著者共同体がそれを作られるんだろう。英米での仏教はマイナーだからチベットでの現れ肩と違って右翼化してないとか、アメリカではキリスト教が宗教右翼で盤石だとか、明治日本でのキリスト教は対抗性のある知性だったのと同じ原理が働く。

グロイスはそこでロシアからドイツに移っているのが、柄谷におけるイェールやジェイムソン媒介英訳に相当する。現地ロシア勢からは「カールスルーエ造形大学とかニューヨーク大に行きやがってさあ」とか思われてそう。日本のロシア学は欧米よりもロシアにマインドが近くなっているのだが、アメリカなどのロシア学への対抗からそうなってしまう。

「わたしはアルナルド・モミリアーノから何を学んできたか」(上村忠男『歴史をどう書くか』所収)では、ギンズブルグがホワイトと戦った経緯に、カリフォルニア大環境でのホワイト覇権にイラついたといった事情が語られているが、そういう背景がしょぼいけど重要なんだろうなと。

グロイスは美術館を死骸置き場にしているが、作品を高く見積もる人なら、美術館にある作品はあくまでも「仮死」なのであり、視線が作品をそのつど蘇生させるのだ、とかやりそう。でもその程度の修正を入れても骨子変わんねえから別にいいなとも思う。

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