ここでも同じような私的労働/社会総労働の分配の構図があり、印刷メディアから配信への秩序変貌で起きているのはいわゆる象徴秩序の衰退というよりもむしろ、価値づけの根拠喪失に伴う「自分が没入できるかどうか/他者との共生にとって有益・有害な側面(生存術としての道徳性)をもつか」に根拠が集約されつつあることなのではないか?などと考える。
印刷メディアから配信への移行については、つまり印刷メディアとは、税の徴収と経済制作を行い社会総労働の分配を取り仕切る国家機構の、文化における代替機構であり、印刷メディアが価値付けと分配の機構だったのではないか?と。
配信になることで、置かれる物にタイムスタンプは消えるし、サービスの開始と終了はかなり不可視化するし、価値付けの現れ方がグッと変わった印象がある。アーカイブが脆弱になったので、過去作品への冷淡さは加速的に進むだろうけど、それだけではなく、かつてのメジャーとマイナーの二分法がテレビVS雑誌といった異なるメディア規模の投影であり、その基礎から変貌したことがもはや明るみに出たというふうに思っている。
そうしてみると、作品を批評する側が、オルタナティブな活動にすべてを賭けるというよりは、批判的商業主義とでもいうべき立場に帰着しがちなのは、労働の価値づけにおいて社会総労働の分配機構である国家があるかぎりで批判的ナショナリストになりがちなのと相似的なのではないか。