冷戦崩壊と90年代のポスト冷戦秩序の開始期における世界認識の模索、それとサラリーマンがノベルス小説を山程読む時代、日本最強感覚の翳りを見せつつある頃の産物なんだろうなといった洞察が進む。
また、ディック『高い城の男』、アトウッド『侍女の物語』を頂点とする、冷戦期~ポスト冷戦期において歴史改変SFがいかに巨大な裾野を持っていたかということについて考えさせられる。バイオレンスジャックも北斗もAKIRAもアップルシードもわりと全部歴史改変SFじゃん、と気づいてしまった。この枠は、いまでは失われたように思われるが、現実をフィクションで上書きするというプリミティブな欲望をくすぐるんだろうなーと。歴史を作品で操作できるというのが魅惑か。
『別巻』にはこのメンバーの座談会が収録されているのだが、シミュレーションだから中立的です、米ソの言ってることはイデオロギーです、といった素朴な主張が繰り出されまくっている。(この種の発言に隙が露骨に見えるから、現在の再評価で回避する人が多いんだろうが、別の捉えかえしで包摂したほうがいいと思う)アホすぎるのでは
あと、荒巻は想定読者市場をウォーシミュレーションゲームのファンに置いているのも今や興味深い。コーエイの戦争ゲームとか大戦略の時代だなと。
除去作戦とは別解釈を推進するなら、仮想戦記こそが日本型ポストモダン小説だった?!とした方がよさそう。座談会では、新本格ミステリもシミュレーションでは?とか言われている。リンダ・ハッチオンがヒトリオグラフィー小説の展開でもってポストモダンフィクションとした手続きと並行的に思える。
そういうふうに考えていたところだったので、攻殻機動隊公式サイトの士郎正宗ロングインタビューは、荒巻義雄シミュレーション路線の漫画における継承者が士郎である、という示唆があった。
(まあそもそも猿似の部長・荒巻大輔が荒巻義雄オマージュの命名キャラだと推察されるし、これらはリアタイのファンでは常識なんだろう)
https://theghostintheshell.jp/news/shirow-masamune-interview
ライフゲームと日経サイエンスの摂取を強調している点がシミュレーション要素。と同時に、日経を媒介することで日本の財界の思惑やイデオロギーも混入するはずで、しかしそれを意識しない無邪気さもかつての荒巻に近い。言うまでもないことだけど、この界隈のミリオタ知はだいたい反左翼イデオロギーが強い。
仮想戦記ジャンルは孤立的に捉えると間違ってしまうもので、『無責任艦長タイラー』の吉岡平が、同時に架空戦記『北海の堕天使』なども書いている。それを考えると、ノベルスで架空戦記、ラノベでOVA準拠っぽい物語(90年代ラノベはだいたいそう)を書き分けるのは、年齢別の調整だったという話になる。
荒巻義雄のいうシミュレーションの背景もウォーシミュレーションとゲームなんだろうなー。
https://twitter.com/utumiyayu/status/1758813841105027579?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ