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 “だれもが知識人であるということは、だれもが「戦略家」のようにふるまうということだ。これは、ミシェル・フーコーの定義した知識人とは対極に位置している。かれは、みずからの知識人としてのモラルを「反戦略的」と形容した。「私の道徳は「反戦略的」だ。つまり、一個の特異性が蜂起する時にはこれを尊重し、権力が普遍的なものに背くなら強硬な姿勢をとる、ということだ」。”
(高桑和巳訳「蜂起は無駄なのか」『ミシェル・フーコー思考集成Ⅷ 1979―1981 政治/友愛』筑摩書房、二〇〇一年、九九―一〇〇頁)

『賢人と奴隷とバカ』
01.現代日本の「反・反知性主義」?akishobo.com/book/detail.html?

 「人は蜂起する。これは一つの事実だ。そのことによってこそ、主体性(偉人のではなく、誰でもいい人間の主体性)が歴史に導入され、歴史に息吹をもたらす。
 非行者は、濫用される懲罰に抗して自分の命を賭ける。狂人は、監禁され権利を剥奪されて、くだびれはててしまう。民衆は、自分たちを抑圧する体制を拒否する。そんなことをしても、非行者は無罪にならないし(...)明日を保証されはしない。(...)混乱したこれらの声が、他の声よりうまく歌っているとか、真なるものの深奥を口にしているなどと見なす必要はない。
そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。」

『哲学で抵抗する』
 高桑和巳shueisha.co.jp/books/items/con

前に読んで印象に残っている。今読んでいる本で引用されていて縁を感じる。

“そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。”

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